■■■■■■■■■□ 9点
【あらすじ】
気弱な男子高校生の不動明は幼馴染で親友の飛鳥了に誘われ、人類を陰からおびやかす「悪魔」の調査に乗り出す。
しかし思わぬアクシデントで明自身が悪魔と一体化。人間の心と悪魔の肉体を併せ持つデビルマンとして覚醒してしまう。
2017年の夏頃からNetflixが猛烈にプッシュしていた期待作『デビルマン クライベイビー』がついに配信されました。
近年『夜は短し歩けよ乙女』や『夜明け告げるルーのうた』などの可愛らしい作品で好評を集めている湯浅政明監督が、あろうことかバイオレンスの極北たる『デビルマン』に挑戦してしまったという本作。
例えるならば登場人物が全員ムーミンになったマッドマックスみたいなものです。そんなの上手くいくのか!?
しかも予告編はデビルマンらしさよりも先に湯浅監督らしさが爆発しており正直コレジャナイ感が強い…。
まあ…。せっかく配信されたしあんまり期待せず取りあえず観てみようかな…とえっちら見始めてみたらこれがもう凄くて。
凄くて凄くて一気に全話観ちゃいましたよ。もう凄くて(語彙)。
結論を先に書けば全Netflixユーザー、全アニメファンが真っ先に観るべき超傑作でした。
目次
そもそもデビルマンって?
あ・れ・は 誰だ 誰だ 誰だ♪
あ・れ・は デビール
デビルマーン♪
デビルマーン♫
というテーマ曲がある意味作品自体より有名な1972年のアニメ版『デビルマン』。
この作品の存在感がとにかく大きいので、私は長いことデビルマンをいわゆる変身ヒーローものだと思ってました。
しかし実は永井豪による原作は全くの別物。タイトルと一部の設定が共通しているだけで、完全に違う作品なのです。
というか私と同じく、デビルマンをガッチャマン的な子供向けヒーローアニメだと思ってる人は地味に多いと思います。あの曲が耳に残るからいけないんだ(;^ω^)!
まあそれはさておき。
私が原作版『デビルマン』に出会ったのはかれこれ十数年前、高校生の頃でした。
古本屋で何の気なしに手に取った『デビルマン』の1巻がもうとにかく強烈なインパクトで、すぐ全巻(と言っても5冊)買って家で貪り読んだのを覚えています。
そこにはイメージしていた子供向けヒーローものの要素はまるでなく、あるのは永井豪の魂の叫びでした。
主人公たちを待ち受ける過酷過ぎる運命。
情け容赦ない残酷描写。
そして超キモいサイコジェニー…。
終わり方の突き放しっぷりも鮮烈でした。
高校生当時、観てきた映画・読んできた小説やマンガの多さに多少の自信を持っていた私は「ま、俺って結構そのへん詳しいし?」みたいな具合で勝手にイキッてましたが、完膚なきまでに打ちのめされました。
こんな凄い作品が自分が生まれる10年以上前に世に出ていたなんて…!
あげくそれを今日の今日まで知らないでいたなんてー!
以来『デビルマン』が私の中で特別な存在になったのは言うまでもないことでした。
もし永井豪版『デビルマン』を未読の方がいれば、こんなブログはどうでもよいので今すぐ読破するのをおすすめします!
配信作品の強み、エロとグロのリミッター解除!
現代に再構築される神話
という訳でそんな凄すぎる『デビルマン』を45年越しに映像化した今回の『クライベイビー』。
舞台を現代に移し、SNSや動画配信などのツールが自然に話に取り込まれています。
そして登場人物の設定も大胆に改変。キャラクターデザインも今風に刷新され、特に女性陣のとても可愛らしくリファインされており、永井豪らしいゴツさは微塵も残されていません。
そのくせ話の本筋は原作に極めて忠実!
この噛み砕き→再構成の妙は原作に対する深い理解と愛情あってこそ…まずコレが凄いです。
実は『デビルマン』自体は何度も映像化されている作品なのに、原作を「最初から最後まで」描き切った作品は実はこの『クライベイビー』が初なのです!
本作がコンセプトからしていかにチャレンジングな作品か分かります。
見た目は抽象的だが
予告編観た時点では「湯浅政明の抽象的な演出は『デビルマン』のハードで暴力的な世界観にそぐわないのではないか」と心配していましたが、第1話のサバトパーティーのシーンでおっぱいがビヨーンと伸びて人間を食いちぎった時点でそんな心配は吹っ飛びました。
キャラも空間もめちゃくちゃ自由に動かしてます。
「世界観にそぐわない」どころか好き勝手してます。これが非常にうまい方向に働いてる!
抽象的さは逆に「きっちりしなきゃいけない」という制約から作品を開放しており、むしろイマジネーションの赴くまま人体を変形させたり破壊したりでやりたい放題です。
正直言って私は湯浅監督の画が大好きという訳ではないのですが、作品のコンセプトとがっちり噛み合っている点は認めざるを得ません。
返り血を浴びながら咆哮するデビルマンは素直にド迫力!
しかも配信作品の強みを活かしてエロとグロをどちらも真正面から描きまくってます。
もう普通にセックスしてます。女子高生は獣のような声をあげて自慰をし、男子高生は男同士でガッツンガッツンです。
そして暴力シーンではもれなく血とモツが飛び散り、ヒロインを待ち受ける原作の「あのシーン」も完全再現されています。
これは絶対地上波では放送出来ない…。
デビルマンと真正面に向き合うつもりならエロ&グロは避けられない要素。
その事実から逃げず逆にNetflix配信作品という武器を得て真向立ち向かった本作『クライベイビー』は、今後のアニメの新たな基準になり得るパワーを秘めていると思います。
いずれにせよ超おススメです!
※ ネタバレ警告※
以下の記事にて作品の結末に触れています!未見の方は注意!
泣くことが出来る悪魔 不動明
天井がドロドロになる程のダイナミックな夢精で目覚める男、不動明。
本作は「泣くこと」と「走ること」がキーワードでしたが、明はその両方を内包する紛れもない主人公でした。
泣くことは人間性の象徴。人のために泣くことは優しさが成せる業で、人間と悪魔を分かつ最大の要素なのです。
そして走ることは生きること。了は「ただ走るだけだったら人間は獣に劣る」と一蹴しますが、人間は走ってバトンを渡すことができる=想いを誰かにつなぐことが出来るというメッセージでした。
人間と悪魔でその走り方の見た目が全然違うというのも明快な表現ですね。
こういう絵的な演出で分かりやすくテーマを語ることができるので、やっぱアニメはいいですなぁ(*’▽’)
ただ一点。
原作では牧村美樹の死で完全に人類を見放し、以降は人間でも悪魔でもない存在として戦った明ですが、本作では最後まで自分は人間であると主張していました。
しかしその割には了に対して「お前のために流す涙は枯れ果てた!」と言っており、泣くことが人間性の象徴であるというそれまでの主張とちぐはぐです。
「泣かない」イコール「人間やめた」と定義してくれた方がより明快だったかなー…と思わんでもない。
史上最悪の運命のヒロイン 牧村美樹
もうめっちゃ可愛い。
個人的には10三葉=1美樹くらいです。ちなみに1.73三葉=1瀧。
(あ、これは三葉の方だ)
そしてこんなに可愛いのにおっぱいも陰毛も惜しげなく披露するきっぷの良さ。配信作品最高ォォゥ!!
しかしやはりなんと言っても第9話でしょう。
「泣くこと」は人間性の象徴だということを主張したがために悲惨な末路を辿ってしまうという顛末は、人間なんてその程度とさげすむ了の主張を裏付けてしまいました…。心が大出血する悲劇です。
明の必死の訴えにリンチをやめた暴徒も登場しましたが、そんな善性がちっぽけに思えるほど人間はドス黒いようです。
そして潘めぐみ渾身の断末魔は確実に見る者の心に爪痕を残します
その直後に押し寄せる特殊エンディングが更に絶大なインパクト。
静謐で美しいシークエンスで美樹と明の幸せな時間を強調しつつ、同時に失ったものの大きさが饒舌に語られる…。
印象的な楽曲の効果も合わさり、こちらの傷口をゆっくり押し広げられていく珠玉の演出でした。
本作の中核を成す珠玉の神回でした。トラウマ級衝撃の看板に偽り無しです。
明以外はどうでもいい 飛鳥了
ツーブロックヘアーに大胆アレンジされた飛鳥了。
明以外の人間は雑草ほどにも気に掛けていないという隠す気ナシのサイコパスぶりが素敵でした。人間を「いる」じゃなくて「ある」と表現したりします。
最終話でミーコ→美樹→明と渡ってきたバトンを、意味が分からずに何度も取り落とすシーンが印象的。
それでも最後の瞬間には自分と明との間に愛を見出していました。
原作ではラストシーンでの了の感情は推し量れませんでしたが、本作は明快な回答を与えてくれます。この点は個人的に原作より好みでした。
終わってみればこれは了がcrybabyになるまでの話でしたね。このラストシーンのおかげで明と美樹の死に意味が与えられ、希望を持たせる幕引きになっています。
ある意味第二の主人公 ミーコ
原作から大幅に設定改変され、本名が牧村美樹と同じ「ミキ」であることも判明した第二のヒロイン。
というかキャラの掘り下げっぷりからは第二の主人公と呼んでも差し支えないほどの存在感でした。
美樹につきまとうグラビアカメラマンに犯されるが実はまんざらでもなく、むしろそれをオカズに自家発電…って性豪すぎるだろ!
美樹への対抗心から一時自分を見失うも、美樹を許し自分を許すことで最後には涙(=人間性)を取り戻していました。
やっぱり「自分の弱さを受け入れる」って普遍的なテーマだと思うので、極端な善人である不動明や美樹と違って等身大の人間として非常に共感できましたね。
似た立場ながら自分と向き合えなかった幸田と対になっているのも見事な構図です。
ぶっちゃけ本作一番のお気に入りキャラです。
しかしなぜククンを殺した?
いや実際に殺すシーンは無かったけど、前後の状況的に殺して食ったとしか思えない…。
デビルマン化して自信に満ち溢れたから、弱かった頃の自分=ククンはもう要らないってこと? だとしたらいくら何でも残忍な…。
銃で脅して襲ってくる汚いオッサンは殺してもククンは殺しちゃダメだろー。
ちょっとこれだけは受け容れられないです…。
コメント
ククンについてはやはり衝動を抑えられなかったのではないでしょうか
ククンを殺したのは先に悪魔化した奴だと思いたいです…
サングラスを持ち歩いてましたし明が了を守ったようにククンを守ろうとして守り切れなかったのかも
>>もつ煮込みさん
>>aさん
コメントありがとうございます。
やっぱ衝動的にやっちゃったんでしょうか…。太郎君も泣きながら自分の母親食べちゃったしね。
でも家畜のように殺した相手の持ち物を大事に身に着けたり持ち歩いたりするもんかな、と腑に落ちない点もあり…。ここは観た人の解釈次第って感じですかね。
でも殺してないと信じたい!
感想拝見させて頂きました。
私も配信開始したその日に一気見してしまったクチです。
>ミーコがククンを殺したか否か
正直前後の描写がどちらにも解釈できるので判断が難しいですよね。
1:ククンを殺したのはサバト会場で襲いかかって来た悪魔説
ミーコがククンのグラサンを肌身離さず持ち歩く様になった辺りから、ククンはミーコを庇って死にその後ミーコは悪魔に取り憑かれたのではないか。
2:ミーコが自身の悪魔的欲求に耐え切れずククンを殺した説
7話辺りでミーコがホームレスに銃を突きつけられながらセックスを強要され、行為中に殺し、その後もなおセックスを続けていた描写や、また太郎が肉を食べる事を我慢出来ず生きている犬を食べ、果ては母親すら食べてしまう描写から、悪魔化した人間にはそれぞれ強烈な衝動欲求があり、ミーコの場合は性欲だったのではないか。そして悪魔化したミーコの姿が蟷螂や蜘蛛の姿をしていた事から、セックスをした相手を殺すまたは食べる衝動欲求があり、ククンはその犠牲になってしまったのではないか。
と私は推察しました。どちらもあり得そうで、考えれば考えるほどわからないですね。
先ほどクライベイビー全話見終わりました。
そこそこ原作に忠実だったと思いますが、やはり改変は改悪になってしまった部分が多かったように思えます。
まず、デーモンはもともと人間に近い生物で、生物だから当然オスとメスがあったはず。
それを実体を持たないって、それもう生物じゃないし、生物じゃないのに性衝動と破壊衝動が強いって(^_^;)
何より一番わたしが見たかった魔王ゼノンの全世界同時宣戦布告がない!
悪魔の無差別合体からゼノンの宣戦布告、直後の悪魔総攻撃!この流れがないと全人類に悪魔の存在と能力に対する恐怖を植え付けるのにインパクトが足りなさすぎる。
そこからさらに雷沼教授の悪魔人間説、悪魔特捜隊の人間狩りで人々は疑心暗鬼になり、とどめに実際は人間にだけは容易に合体できないのに、飛鳥了の悪魔は誰にでもとり憑くことができるという明の映像を使った放送。
この畳み掛けるような絶望感がいまいちない。
明が「地獄に落ちろ人間ども」と言った直後に、「人間はおまえたちには負けない」とか言っちゃうのも違和感。最終戦争に人間も参加してるし、原作だと確か20年後の人類が自滅した後だったはず。
全体を通して言えば、サタンが明をアモンと合体させた本当の理由がこの作品だけ視た人にはわからないんじゃなかろうか。(これ一番大事なのに(´;ω;`))
それでも実写デビルマンを期待して映画館まで足を運んでしまったわたしからすると期待以上だったかもしれません。(今回の作品には全く期待してなかったので)
個人的には(もう視聴されてるかもしれませんが)30年ほど前の飯田監督のOVAがお勧めです。
飯田監督にハルマゲドン編をつくってもらいたかった。(´;ω;`)
>>名無しさん
コメントありがとうございます。
やっぱどちらにも解釈できますよね…。
交尾後にメスがオスを食うカマキリに姿が似ているという考察は目からウロコです。確かに!ミーコの変身後の姿を原作から改変したのにはそんな意味があったのかも知れませんね。
>>カナさん
コメントありがとうございます。
確かに、美樹が死に人類という存在に明が絶望し切った後で「よーし今後も頑張って人類を守るゾ!」と言ってしまう流れには私も「ハァ!?」となりました。やっぱそこは違和感ですよね。
でも永井豪版の絶望感に比肩し得る作品があるとしたら、それはもう永井豪版だけです。原作の完コピと再構築はちょっと違う訳だし、『クライベイビー』には『クライベイビー』のアイデンティティーがあるべきだと思います。原作に劣る部分があるのは事実ですが逆に牧村美樹やミーコの掘り下げには魂が込められているし、そこは改悪と言うより勇気ある取捨選択と評価したいのが私の気持ちです。
ただほんとゼノンの存在感の無さは如何ともしがたいですよね(;^ω^)!
とても2018年とは思えない糞作画に原作の雰囲気をブチ壊す糞演出
こんなもんいいとか言ってるやつは正気か?
いい部分。単なる焼き直し、二番(何番?)煎じにならないよう、思い切った「改変」がなされたこと。製作者の英断には賞賛を送りたい。
悪い点。その「改変」がただの「変えただけ」あるいは「改変自体を自己目的化してる」かのような印象を受けました。
特に、RAPはなぁ???
いや、個人的には、絵柄やストーリーを変えること、また「異なる作家」によるアレンジ自体を否定しているわけじゃなくて、むしろそういうのは好きです。
しかし、意外と「中途半端に」原作に忠実なところもあり、
そのせいで、とくに最終2話の展開が舌足らず、端折りすぎな印象が強く残ります。
既出ですが、了による明変身映像の放送、ゼノンの宣戦布告&雷沼教授の人間狩り展開の絶望的畳み掛けこそ、原作が漫画の歴史に名を残すに値する部分であって、
私は小学生時にこれを読み、戦慄した人間なので…
「どうせやるなら、全部ちゃんとやれ!!」と感じました。
あるいは「どうせかえるなら、原作とは全く違う結末を用意しろ!!」と。
全体としては、舌足らず。(様々な改変も)効果不足。
偉大な原作への挑戦そのものは、大きく評価したいのだけど。
すいません。連投。
あと、デーモンデザインがキャラデザと別の人とか、わざわざやった意味が薄い。
SEX描写や人体破壊には「制限なしな方向で」という意気込み(宣伝)とは真逆の「なんというかメルヒェンなデザイン」←これは「劣化」にしか見えない。
あと、美樹の「なめるな!」が無かったのは、非常に残念。
>>カイムさん
コメントありがとうございます。
読み応えのあるご意見でした!
ラスト2話が端折られているというお話はご尤もです…。
原作未読のうちの嫁も「最後の2話で置いてけぼりになった」と言っていたし、多くが原作を知らないであろう今の世代へのアプローチがコレでは正直成功したとは言い難い気はします…。
ただ牧村美樹や明の必死の訴えで、少数の人間(またはデビルマン)が理性を取り戻し結集したという流れは悪くないとも思っています。最終話時点での明の人間に対する態度が原作とは異なっているのも本作のテーマの一つと捉えられるし、おっしゃる「原作とは全く違う結末」ではなくとも『クライベイビー』なりの結末は描かれているのではないでしょうか。
色々思い入れのあるシーンが改変されてたり無かったりで中々難しいですよね!私もジンメンのエピソードは断然原作の方が好きです。
※7
結構有名な監督と手法ですよ、あなたには合わなかったようですね
>しかしその割には了に対してお前のために流す涙は枯れ果てたと言っており、泣くことが人間性の象徴であるというそれまでの主張とちぐはぐです。
この解釈は原作から来る先入観に引っ張られてると思いますよ
辞書的に言っても、「涙が枯れ果てる」という表現は「泣く心が消える」という意味ではないです。
むしろ悲しみの深さをあらわす表現では?
明がいくら泣いてやっても、了は愛がわからなかったわけですよね。
だから「了のために泣く」のをやめ、分からず屋の了をぶちのめそうとした。
しかし明は憎しみではなく悲しみで戦ったから(火山のシーンの印象より)、
「了をぶちのめす」というのが、了へバトンを渡そうとすることにもなっていた。
すべてを失い(了のための)涙の枯れ果てた明は、しかしミキからバトンを貰っていた。
涙が枯れ果てようと、明は人間性との決別なんてしていない。
そして明が死んだあと、了が自分で泣くわけです。なにもちぐはぐではないと思いますよ。
そもそもの話ですが、「泣くことが人間性の象徴」という解釈枠組み自体に問題があるかと思います。
大枠としては良いにしても、絶対的では無いです。その枠に当てはめて先のシーンを「ちぐはぐ」と評するのはアカンです。
だってシレーヌも泣いてますし、シレーヌが涙を流してカイムの体を受け取るシーンは「シレーヌも意外と人間的」という意味ではなく、「愛」を語ったものでしたよね。
愛があるから自ずと涙もあったんです。これは一貫していて、
通奏低音としては「泣くことは人間性の象徴」というより「悲しみと愛は表裏一体である」でしょうね。人間讃歌じゃないんで。
>>まっくすさん
とても読み応えのあるコメントをありがとうございます!
私の解釈では人間と悪魔を分かつのは愛があるかどうかなので「人間性」イコール「愛」イコール「泣くこと」だと考えています。なので涙が枯れ果てたと言っている割には人間であることを自負し、かつ了に愛を伝えるために結果的に命を捨てることになった今回の明に微妙な座りの悪さを感じていたのですが…おっしゃる通り愛を悲しみの別の側面として捉えれば噛み合いますね。
素敵なご意見をありがとうございます。こうして意見を出し合えるという、映画ブログ運営の醍醐味を味わわせて頂きました。
ククンのサングラスを後生大事に持っていた(しかもそれが自分を自殺に追い込ませた原因(ヒエから恨みを買い、多数の人間をけしかけられる)ことから察するに、殺してしまったことに業を感じてるんじゃないかと思います。幸田との対比を鑑みると、下手したらミーコはレズなのかもと思います。
コメントありがとうございます。と言うか返信が遅くなって申し訳ありません(-_-;)
サングラスを持ち歩いていたのは罪の意識説は十分あり得ると思います。
しかし美樹に対して特別な感情を抱いていたのは間違い無いですが…同性愛者かなあ?むしろグラビアカメラマンにしろホームレス風の拳銃男にしろ、ミーコ自身の性欲が旺盛という主張が多いだけの気もします。
サタンの行動原理がよくわからないなー。
いくら醜くともデーモン族のある意味純粋な命の輝きに共鳴し、
ほかの神々と敵対してもそれを守ろうとした神をも超えた神というイメージだったが。
対して明は悪魔を超えた悪魔になっても人を守ろうとした。
まあ、日常と対局にある物語だな、原作は。
日常目線からのデビルマンなら、
岩明均さんにでも脚本を書き下ろしてらったほうがよかったかもw