『プレデター:最凶頂上決戦』アニメ短編集で描かれる残虐ファイト!狩る側と狩られる側の物語は神話の域へ

今回はプレデターシリーズ初のアニメ映画『プレデター:最凶頂上決戦』を紹介します。

映画館で観たかった迫力!

評価 :4/5。

あらすじ

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出典:httpswww.themoviedb.org

制作:2024年
監督:ダン・トラクテンバーグ
主演:アマンダ・ミッドサンダー、ボイド・ホルブルック、ソフィア・ブテラ

シリーズ初の長編アニメーション映画。そして短編集。

舞台は三つの時代――ヴァイキングの戦士、戦国時代の忍者、第二次世界大戦の米軍パイロット…。それぞれが自らの武器と誇りを携え、宇宙最強の狩人プレデターに挑む。

異なる時代と文化を超えて描かれる死闘は、やがて意外な形で収束していく…。 

 

 

戦い

3つの時代と1つの本能

プレデターがまた地球に来た。しかも今回は三度来た
古代、中世、近代、――時代をまたいで狩りを楽しむその姿勢、もはや銀河遊び人である。

支配も搾取も眼中になく、ただ強い獲物を求めて降臨する。「いったい何のために?」そんな問いはこのシリーズにとっては愚問すぎる。もちろん狩りのためだ。
シリーズ恒例のこの“おバカ設定”を本気で掘り下げ、いっそ神話っぽく再構築したトラクテンバーグの手腕にまず拍手を送りたい。

 

圧倒的な技術力の差を機転でカバー!

物語は三部構成。
古代編では復讐に生きる者が、中世編では刀と知恵を持つ者が、近代編では技術と孤独を背負った者が、それぞれのやり方で“最凶の客人”に立ち向かう。

プレデターは相変わらず無言実力主義。
科学力で圧倒する異星の捕食者に対し、地球の主人公たちは機転と気合で応戦する。武器の性能差はひのきの棒とムジョルニアくらいの差があるが、それでも人間は負けない。
なぜなら、彼らには“生きたい”という本能があるからだ。

この“狩り”という行為に、シリーズは一貫してこだわってきた。侵略でも復讐でもなく、ただのスポーツ。しかも相手は人間限定(たまにクマも狩るけど)。

そんな合理性からはかけ離れた設定が、逆にシリーズのアイデンティティを形作ってきた。
そして本作はそのアイデンティティを真正面から受け止め、むしろ“狩り”の根源的な意味を神話的なアプローチで問い直す。

 

 

生存=戦闘

戦いこそが人類をも目覚めさせる

ここに通底するのは「生きることは戦うこと」という認識だ。
これは前作『ザ・プレイ』から続くトラクテンバーグの哲学であり、戦闘と生存の表裏一体性を描くことで、人間の輝きを浮かび上がらせる。
プレデターが求めるのは“強い獲物”であり、だからこそ人間は試される。そして、試されることで人間は真価を発揮する。

 

アニメならではのド残虐バトル

バトルシーンの過激さは抜群の切れ味で、アニメーションならではの奇想天外な流血バトルが炸裂する。腕は飛ぶし首は落ちる。視覚的な快感はバッチリだ。
プレデターの造形も、過去作の“筋肉宇宙人”から一歩進んだ“ちょっと神様っぽい”へと昇華されており、もはやホラーアイコンというより威厳すら感じる。

この映画が語るのは「人間は弱い。でも、だからこそ強い」という逆説だ。プレデターが何度地球に来ようと人類はそのたびに立ち向かう。

おバカ設定を本気でやりきることで、シリーズは新たな地平に到達した。
これはただのSFアクションではない。狩る者と狩られる者、その境界線を問い直す神話なのだ。

 

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