制作:2024年
監督:ダン・トラクテンバーグ
主演:アマンダ・ミッドサンダー、ボイド・ホルブルック、ソフィア・ブテラ
3つの時代と1つの本能
プレデターがまた地球に来た。しかも今回は三度来た。古代、中世、近代、――時代をまたいで狩りを楽しむその姿勢、もはや銀河遊び人である。
支配も搾取も眼中になく、ただ強い獲物を求めて降臨する。「いったい何のために?」そんな問いはプレデターにとっては無意味すぎる。むしろこの“バカ設定”を本気で掘り下げたトラクテンバーグの手腕に拍手を送りたい。
物語は三部構成。古代編では自然と共に生きる者が、中世編では刀と知恵を持つ者が、近代編では技術と孤独を背負った者が、それぞれのやり方で“最凶の客人”に立ち向かう。
プレデターは相変わらず無言実力主義。科学力で圧倒する異星の捕食者に対し、主人公たちは機転と気合で応戦する。武器の性能差はひのきの棒とムジョルニアくらいの差があるが、それでも人間は負けない。なぜなら、彼らには“生きたい”という本能があるからだ。
この“狩り”という行為に、シリーズは一貫してこだわってきた。侵略でも復讐でもなく、ただのスポーツ。しかも相手は人間限定(たまにクマも狩るけど)。
そんな合理性からはかけ離れた設定が、逆にシリーズのアイデンティティを形作ってきた。
そして本作はそのアイデンティティを真正面から受け止め、むしろ“狩り”の根源的な意味を問い直す。
そこに通底するのは「生きることは戦うこと」という認識だ。これは前作『ザ・プレイ』から続くトラクテンバーグの哲学であり、戦闘と生存の表裏一体性を描くことで、人間の輝きを浮かび上がらせる。プレデターが求めるのは“強い獲物”であり、だからこそ人間は試される。そして、試されることで人間は進化する。
バトルシーンの過激さは抜群の切れ味で、アニメーションならではの奇想天外な流血バトルが炸裂する。視覚的な快感はバッチリだ。
プレデターの造形も、過去作の“筋肉宇宙人”から一歩進んだ“ちょっと神様っぽい”へと昇華されており、もはやホラーというより儀式めいた威厳すら感じる。
この映画が語るのは「人間は弱い。でも、だからこそ強い」という逆説だ。プレデターが何度地球に来ようと、我々はそのたびに立ち上がる。
バカ設定を本気でやりきることで、シリーズは新たな地平に到達した。これはただのSFアクションではない。狩る者と狩られる者、その境界線を問い直す寓話なのだ。
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