
体はおとな、頭脳は子どものあの子たち。
全員不穏な空気出し始めたわね。
マジノ号編終了 舞台はプロディジー社本社へ

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マジノ号での探索を続けていた“逆コナン軍団”こと『迷子たち』は、数々の危機をくぐり抜け全員生還という奇跡的なエンディングを迎える。おみやげはエイリアン各種。
だがウェンディはゼノモーフとの死闘で重傷を負い機能停止。舞台はプロディジー社本社に移る。さらにその外では、機械の体に悪意ある人間の脳を詰め込んだ厄介すぎる男・モローが、エイリアン奪還に執念を燃やしていた。
そして『迷子たち』はそれぞれ不穏な自我の目覚めを迎える。
カーリーはウェンディへの対抗心を滾らせ、スライトリーは幼さゆえに外部の悪意に付け込まれる。
ニブスは深刻なアイデンティティのゆらぎに直面。
そしてウェンディは…大変なことに。
ゼノモーフ弱すぎィ!
裁断機で首チョンパされるゼノモーフ
先週までのゼノモーフは天井から襲いかかり一瞬で血の雨を降らせる”宇宙の悪夢“だった。それが今週、裁断機のブレードで首を落とされるという、まさかの紙細工扱い。
いやウェンディが強いのは認める。彼女の戦闘センスは恐らく「動物的直感+機械的精度」の融合で、ゼノも苦戦は必至だっただろう。
しかしそれでも、裁断機て。文房具で倒せるエイリアンって、もうそれエイリアンじゃなくて異星の紙粘土では?
しかもそのウェンディも大ダメージで機能停止。つまり“差し違え”だったわけで、勝ったのか負けたのか、こう、スッキリしない。
ゼノモーフの威厳はどこへ行ったのか。今後は三角定規とかで倒されないか心配である。
ニブスの“自我の目覚め”と哲学的問い
『迷子たち』の中でも、ニブスの描写は群を抜いていた。タコ目玉に襲われ、死の恐怖に直面したことで「私って何?」に目覚める。これはもう哲学の授業を宇宙船で受けてるような展開である。
『病気の子供Aが死ぬ→記憶や個性を受け継いだ機械Bが生まれる』
この構造において、AとBは同じ存在なのか?という問いは、本作全体の思想的な根幹に触れるだろう。
説①:子供Aからしてみれば自分が死ぬんだから、機械Bは全く別の存在だ。
説②:機械Bは子供Aの価値観や幼少期の思い出を受け継いでいるので、ごく当然の感覚で「自分は子供Aと連続した存在」と認識する。
説①は「断絶説」、説②は「連続説」と言えだろう。
ハイブリッドはこの二つの相反する説が同時に内在する矛盾した存在なのだ。
ニブスはその矛盾を自覚し、静かに苦悩する。彼女の目の奥に宿るのは、単なるAIの演算ではなく“魂の残響”だ。
哲学とホラーの融合。これぞ“考えるエイリアン”の真骨頂。ファスベンダーも草葉の陰でニッコリですね(死んでるとは限らないけど)。
嫌な予感しかしないワード「研究」
「研究」という言葉が出てきた瞬間、視聴者の脳内には処刑用BGMが流れ始める。
プロディジー社の倫理観はもはや“倫理”という言葉に対する冒涜そのものだ。ハーミットを「人工的な宿主」にするというやり過ぎ人体実験は、ゼノモーフの暴走をありったけ加速させるだけの燃料に過ぎない。
そしてウェンディ。彼女は人間でもシンセでもない“何か”へと進化しつつあったが、ゼノモーフとの精神的接続という誰も予想しなかった領域に突入。これはもう“エイリアンと恋に落ちる”寸前の距離感である。
次回、何が起こるかは全く読めない。だが一つだけ確かなことがある。
「研究」という言葉が出た時点で、誰かが死ぬ。しかも、だいたい全員。

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