『ブレードランナー2049』考察 Kは結局何者?デッカードは人間なの?※ネタバレ全開注意

前回の感想記事と一緒にしようとしてたけど、長くなったので別記事にしちゃいましたよ。

本記事は『ブレードランナー2049』の考察+思ったことを書きとどめておこう的なユルい文章です。
映画や哲学に大した造詣のない人の考えることなので、間違ってたり浅かったりしても目くじら立てずにオブラートに厳重に包んで指摘してね!
もしくは生暖かい目で見守ってね!

あとネタバレ全開なのでそこんとこヨロシク!!

ブレードランナー 2049 (吹替版)

 

考察① Kは一体何者なのか?

私が本作『ブレードランナー2049』(以下『2049』)に今一つ感情移入できなかった最大の理由は、主人公であるKが正体不明過ぎたからです。

主人公が正体不明の映画と言えば最近公開された『ダンケルク』もそうでした。
が、あれはあくまで「戦場に流れる時間」が主役の映画。主人公のトミーを含め登場キャラクターはみな「戦場に流れる時間」の一要素でしかなく、だからこそ人間性の掘り下げを大胆に省略して逆にテーマを明確化せしめている訳です。
『シン・ゴジラ』なんかも同じ芸風ですね。

しかし『2049』はまさにKが自らのルーツを探っていく物語であり、Kそのものの話です。
それなのに当のKがこんなにも訳わからん存在じゃ観客はどこに共感すればいいんだよ!と申し上げたい!

 

 

木馬の記憶は何だったのか

Kは自分の幼少期の記憶が現実と合致したことから、自分こそがデッカードとレイチェルの間に生まれた子供であると予感し始めます。

しかしレプリカントは大人の知能と肉体を持った状態で製造されるもの。幼少期の記憶は精神のバランスを保つために後から植え付けられた一種の装置でしかありません。
そこで人工記憶の第一人者であるアナ・ステリン博士に会い自分の記憶の真偽を確かめてもらったところ、アナは涙を流しながらこれは本物の記憶である=作られたものではないと断言します。

この後のKのリアクションがよく分からない。
「本物だと思ってた…」「本物だと…」「チクショー!!」
(I know what’s real. I know what’s rea…GOD!COME ON!)
つまり…どういうことだってばよ
予想通り本物だったんじゃないのかよ。なんでチクショーなんだよ。

Kは「自分がレプリカント同士の間に生まれた運命の子であると信じたくなかった」ってこと?
その割には映画の後半で自分が運命の子ではないことを暴かれると露骨にガッカリしており、どういう気持ちの変遷があったのかよく分かりません。

運命の子だと思ってアイデンティティーがゆらいだけど、しばらくしたらそれも悪くないかなと思い始めていたってことかしら。

 

 

じゃあKはどこから来たのか

アート・アンド・ソウル・オブ・ブレードランナー2049

記憶の中でいじめっ子たちにボコられていた子供は一見すると少年ですが、実は少女。幼少期のアナの姿なのでした。
Kはその記憶を植え付けられたオトリで、将来アナを探しに来るであろうウォレス社の追跡者がKを運命の子と勘違いするように仕掛けられたレプリカント革命軍のトラップだったのです。

ってちょっと待て!それいつ誰が仕掛けたトラップなんだよ!
素直に考えれば革命軍の誰かがKの初期製造段階で細工を施したということなのでしょうが…。
レプリカントが真空パックみたいな装置からニュルンと出てくるのはウォレス社の中であって、そんな製造段階に手を加えられるのは当然ウォレス社の関係者に限られます。

ならウォレス社に誰か協力者がいたってことでしょうか?
でもそんな描写これっぽちもありませんでした…。と言うかウォレス社に協力者がいるならもっとやりようがある気がします。

しかもこのトラップ、作動してません
Kが運命の子だと思っていたのはKだけです。

ウォレス社も完全にKのことはスルー。拉致しようとすれば出来たのに、フルボッコするだけして後はデッカードに夢中でした。

トラップはKのアイデンティティーを揺さぶっただけで何の役にも立ってません。

記憶が別人のものでも「私」は「私」でいられるか…という命題は本作の核でありその実存主義的なアプローチは十分に堪能できましたが、ストーリー上の整合性はプアーと言わざるを得ません。
(´・ω・`)ショボーン

ただし。
感情移入できないって書いちゃったけど、ラ・ラ・ライアン・ゴズリングの「燃える魂を氷の肉体に封じ込めている」演技は超傑作『ドライヴ』を彷彿とさせ見ごたえ抜群でした!そこは素直に感動!

 

 

考察② アナは何者なのか

デッカードとレイチェルの間にできた「運命の子」であるアナ・ステリン。

生まれた直後にどういう訳だか劣悪な環境の孤児院に放り込まれ、その後どういう訳だかガラスの無菌室で生活するようになり、その後さらにどういう訳だか両親のカタキであるウォレス社に就職するという数奇過ぎる経歴の持ち主です。

って言うか謎だらけ。彼女は一体何者だったのでしょう?

 

 

免疫不全症は本当か?

嘘でしょう。
はっきりした根拠は明示されませんが、もし無菌室でしか生活できない虚弱体質ならあの孤児院で野垂れ死に必至です。

追っ手の目をかわすため堂々と「世間から隔絶された存在」を演出する必要があったのではないでしょう。

 

 

アナは自分が「運命の子」であると知っていたか?

これも知っていたと考えます。
その根拠はKの木馬の記憶を閲覧して流す涙。初見時はあの不自然な涙の意味が分かりませんでしたが、最後まで観てから改めて考えるとボコられた辛い記憶が蘇って思わずポロリという意味でしょう。

もしくはアナのオトリに仕立て上げられ、そのせいで自我の不確かさに苦しむKを哀れんだのかも知れません。

いずれにせよあの涙を見れば、アナは自分の正体を知っていたのだと思われます。

 

 

なぜウォレス社に就職したのか?

灯台もと暗しを狙った…のかも知れません。
たぐい稀な「記憶ねつ造」の才能があったのは偶然の一致でしょうか。

 

 

Kは彼女がデッカードの娘だといつ知ったか?

こればっかりはいくら考えても分かりません。
はっきり言って凄い唐突

フレイサが教えた?→自分たちの正体を隠すためにデッカードをも暗殺しようとする過激派がうかつに切り札をさらすとは思えない。違うでしょう。

デッカードが教えた?→ラストにKに頼んで娘のところまで運んでもらった? でもあの時はKの方からデッカードを娘に会わせると言っており、順番が逆でつじつまが合いません。

分かりません。何にせよ取ってつけたようなオチだと思います(*・ε・*)

 

 

考察③ デッカードはレプリカントか

「ブッチとキッドはオーストラリアに行けたのか問題」
「インセプションのコマは回り続けたのか問題」
などと並び多くの映画ファンを喧々諤々の論争に叩き込み続けてきた「デッカードはレプリカントなのか問題」。

ブレードランナー ファイナル・カット(字幕版)

本作でついにその答えが明かされるのかと思いきや、またはぐらかされました。
オーケー、謎は謎でこそ美しい。これでよいのだ。よって答えは「不明」です。

ですが実はデッカードがレプリカントじゃないとストーリーの背景が成り立ちません。逆説的ではありますが当ブログはデッカードはレプリカントである説を支持します。

なにしろ本作最大のキーワードは「レプリカント同士での繁殖」であり、運命の子の存在はそれが可能である(=レプリカントと人間は同等の存在である)と示唆する証拠になるというものでした。
だったらデッカードがレプリカントじゃないとおかしいじゃん!という訳です。

「人間の男性はレプリカントの女性を孕ますことが出来る」と「レプリカント同士で繁殖できる」では全然意味合いが違います。前者じゃウォレス社長は満足しないよ!

それに
「レプリカントの創造主であるタイレルを殺害したロイ」
「ロイを追い詰めその死を見届けたデッカード」
「そのデッカードが捜査中に恋に落ちたレプリカントのレイチェル」
と来て
「デッカードがレイチェルと駆け落ちしたらできるはずのない子供ができた」
じゃ偶然が重なり過ぎじゃろ

どこかに何者かの思惑が働いていると考えるのが妥当でしょう。
何者とは何者か?当然タイレルです。
レプリカント同士の繁殖はタイレル→ウォレスの2代にわたる悲願だったと考えられます。それに「すべてはタイレルの書いたシナリオ通り説」はウォレスのセリフの節々からも断片的に拾い上げることができます。

デッカードとその子供の行方を巧妙に隠蔽されたのはウォレスの誤算でしたが、レイチェルに子供ができたのはタイレル達にとって予定調和だったのだと推察されます。

 

 

考察④ ウォレスは何がしたかったのか

命の象徴である水で満たされたオフィスが印象的なウォレス社長。
タイレルの狂信者のようでもあり、一方で自分のことを神だと思っている節もあり、とにかく不気味な存在です。
出番が少なくても常に絶大なインパクトを醸し出しますよねジャレッド・レト!

 

目は見えてるの?

あのファンネルみたいな奴で視覚を代替している…かも。

 

できたてほやほやのレプリカントをなんで殺したの?

むしゃくしゃしてやった。

 

レイチェルの出産はいつ知った?

Kが「出産痕のある女性型レプリカントの白骨死体」の身元をウォレス社に照会すると、その事実はいち早くウォレスの右腕であるラヴに知らされました。
明らかに誰かがレイチェルのことを調べに来るのを待っていた挙動です。

そこから分かるのはウォレス社にとってレイチェルは特別な存在であるという事実です。つまりKが白骨死体を掘り起こす前からウォレスはレイチェルが出産したことを知っていたと思われます。

なぜ知っていたか?それはレイチェルが子供を産めるレプリカントだと最初から分かっていたからとしか考えられません。そうでなければ行方をくらましてどこかで出産したレイチェルのことをウォレスが知る機会は無いからです。

だとすればやはり前述の「デッカードとレイチェルが子供を作ることはタイレルによってあらかじめ仕組まれていた」説が裏付けられると思うのですが…どうでしょう。

 

 

考察⑤ ジョイはどうしてあんなに可愛いのか

Kがブレまくりだったのに対し、全編通してひたすら一途な愛を貫いたジョイは最も感情移入しやすいキャラでした。
概念存在なのに誰よりも人間らしさを発揮するという皮肉。スペルは違うけど「悦び」を意味する「ジョイ」と名付けられている点も象徴的ですね。

「人間を作るのはAとTとGとC。私は1と0の二つだけ」にはガツンときました!

her/世界でひとつの彼女(字幕版)

データでしかない存在が生身の身体を借りて愛し合うというシークエンスは『her/世界でひとつの彼女』とよく似ています。

『her/世界でひとつの彼女』のサマンサが声だけのAIだったのに対しジョイは(ホログラムだけど)身体があるので、生身と同期すると腕が4本になったり目が4つになったりでかなり異形な感じ。

それでもホアキン・フェニックスが途中で挫折したのに対しラ・ラ・ライアン・ゴズリングは最後まで致したよ!つわものだ!

そんなジョイの愛もまた、パッケージ化された商品の一つでしかないというオチは痛烈でした。

ジョイのデータを消去されて悲嘆に暮れるKの前にホログラム看板の巨大な全裸ジョイが現れ「坊や~慰めてあげるわよ~」と誘惑してくるシーンには、ジョイの存在の限界というか所詮データはデータという虚しさを覚えさせます。
プログラムされた好意を愛と呼べるかどうかは、本作の核ともいえる深淵なテーマですね。

 

それにしてもかわいいですよねジョイ役のアナ・デ・アルマス。
さすが愛玩用AIと言うべきか「一途」「健気」「大きい目」「ぽっちゃり唇」「ふともも」と世の男性の好みの最大公約数的要素を兼ね揃えています。ナイスキャスティングとしか言いようがありません。

こんなん普及したら少子化一直線ですね!でも『ノック・ノック』観ると同じ女優のクソビッチぶりが堪能出来るので目が覚めるよ!.。゚+.(・∀・)゚+.゚

ノック、ノック(字幕版)

 

 

考察⑥ ドクターバッジャーはガイコツ顔なのか

くだんの木馬が放射能で汚染された木材で作られていることを教えてくれるジャンク屋、ドクターバッジャー。
すげえガイコツ顔だなと思ったら『キャプテン・フィリップス』でトム・ハンクスをいじめてた海賊じゃないですかやだー。
って言うかそんな危険な物質で木馬作るなよデッカード!

キャプテン・フィリップス (字幕版)

 

 

考察番外 どんな話だったら満足だったのか

ノリ切れなかった『2049』でしたが、どんな話だったら私的に満足だったのか少し考えてみました。

 

・Kとデッカードのバディものアクション。
 最初は仲悪い二人が巨大企業の陰謀に立ち向かう内に固い絆で結ばれていく。
 最後の方でデッカードが死にそうになると
 K「そんな…嘘だろ!死ぬなよオヤジ!」
 デッカード「へへっ…やっと父親と呼んでくれたか」(でも違う)

 

・ウォレスは目ん玉潰されて死ぬ。
 目ん玉潰されなくてもいいから、とりあえずラスボスとしてちゃんと殺されておく。
 悪者が倒されてめでたしめでたし!

 

・課金したらジョイがデータ復元して復活する。
 廃課金推奨。

 

・アナとデッカードの感動の再会シーンがある。
 アナが父親と再会している間、Kは雪に埋もれて死ぬ。略してアナ雪
 あ、これ本編でもそうだ。

 

・ラヴはハト持って死ぬ。
 死ぬ前に「ひとつしか無い命を大切にね」系の説教を一席ぶつ。

 

これぐらいやったら愉快痛快ですね!
しかし風情も哲学もあったもんじゃなく、もはや『ブレードランナー』ではあり得ません。本当にこんな映画が観たいのかと訊かれたらやっぱりノーだわ。

そう考えると『2049』は孤高の傑作『ブレードランナー』の続編として唯一無二の「正解」だったのかも知れませんね。
とりあえずもう一回観てきます。

コメント

  1. HASHIMOTO MAKOTO より:

    「木馬の記憶は何だったのか」のKのリアクションですが、自分がその子どもだとしたら、つけ狙われる対象になり、警察に捕まったら解任(消される)またはウォレスト社に捕まったら実験材料として切り刻まれるということが分かっていたから「チクショー」という言葉が出てきたのではないでしょうか?その後上司は1日という猶予でしたが、Kを見逃してくれましたよね。ウォレスト社はKがその子どもかもしれないということに気がついていない?あるいはそういう子どもがいるらしいそれは女の子だという情報(うわさ)を以前から知っていたけれども何の手がかりもなかった。ということかも知れませんね。

  2. motima@管理人 より:

    コメントありがとうございます。
    確かに「これで俺も解任対象だぜチクショー!」なら筋が通りますね!
    それにウォレス社がKをスルーしていたのは彼が男性だったからという説も十分ありそうです。いずれにせよ「Kが運命の子供ではない確たる根拠」があったんでしょうね。

  3. YUZAWAYAN より:

    「Kは彼女がデッカードの娘だといつ知ったか?」ですが、
    ①誕生日彫り彫り木馬持ちが運命の子(チックショー)
    ②木馬はデッカードが作ったっぽい(ホテルで木彫り作品を見て)
    ③デッカードと問答で「愛するには(親子だけど)他人の方が良いこともある(みたいな)」
    →ここでデッカードが運命の子(俺だ!)の親と確信(強引っちゃ強引)
    ④オバサン「運命の子は女の子。おめーはただのオトリだから」
    ⑤記憶は植え付け確定。ほんまもんの記憶を植え付けられるのは本人のみ。
    ⑥アナが運命の子確定!=デッカードの子!
    というロジックで知ったもんだと思えなくもない。

  4. motima@管理人 より:

    >> YUZAWAYANさん
    コメントありがとうございます。
    「ほんまもんの記憶を植え付けられるのは本人のみ」には目からウロコです。確かに!

  5. 匿名 より:

    >Kはその記憶を植え付けられたオトリで、将来アナを探しに来るであろうウォレス社の追跡者がKを運命の子と勘違いするように仕掛けられたレプリカント革命軍のトラップだったのです。
    ここ、怪しいです
    2chの本スレでも未だに議論されてますけど、Kへの記憶の移植がレジスタンスによる策謀の一つだとすると矛盾点が幾つも出て来てしまうんですよねぇ
    日本語版パンフレットですらそう書いてあるんですけど、誤りの可能性が高いと思われます…
    まあBDのオーディオコメンタリー待ちですね

  6. motima@管理人 より:

    >>5
    コメントありがとうございます。
    そうなんですよ。Kが偽りの記憶を植え付けられたのだとしても、その事実はレジンスタンスにとってメリットが無いんですよね。あげくKが困惑したという以上の意味もなく、なんか変なんです。
    2chはチェックしてませんがやっぱり皆同じ個所で「??」となるんですねー(;^ω^)

  7. たけ より:

    遅まきながら、今日見てきたので。
    私もアナ博士の経歴が納得いかなくて、解説を探してたどり着きました!不明と言い切って頂いたので、1人で気持ちよく頷きました。
    あとジョイに惚れかけたので、オススメの作品も見てみようかと思います。
    的を射た感想を読まして頂きありがとうございました。

  8. motima@管理人 より:

    >>たけさん
    コメントありがとうございます。
    やっぱり皆頭に疑問符が浮かぶ箇所は一緒ですよね!
    もー分からんもんは分からんと思い切って断言してみました!
    あと『ノック・ノック』は超胸糞悪い話なので、ジョイに会うのを期待して観ると心の傷を負い兼ねません注意!

  9. ぼさのば より:

    こんにちは。
    ワタクシも2049を観て、ずっとモヤモヤしていたのですが、ここまで一緒の感想(というか疑問?モヤモヤ?)をお持ちの方がいらっしゃって驚きました(笑)。
    モヤモヤを文面化していただいて、なぜかちょっとスッキリいたしましたmm
    ちなみに「チクショー!」については、ワタクシは「今までオレ(K)は、自分は人工的に作られた(安っぽい)レプリカントだと思い込んでたのに、違うのかよ! オレの今までの人生返せー!」みたいな雑い解釈をしていましたw

  10. motima@管理人 より:

    >>ぼさのばさん
    コメントありがとうございます。
    モヤモヤ同志ですね!(((o(*゚▽゚*)o)))
    本当に「?」が多くてスッキリしない映画ですよね。でも映像も音楽も演技も超絶クオリティで抗い難い魅力もある…。不思議な作品でした。

  11. 川添 より:

    「木馬の記憶は何だったのか」のKのリアクションについて、確証はないですが個人的に思うところがあります。
    Kは自身の木馬の夢について、ジョイと何度も語り合っていたことを伺わせるシーンがあります。上司には伝えなかった木馬の裏の日付のことを話していたりとか。そしてジョイはKが普通のレプリカントではなく選ばれた存在であることを何度も訴えかけます。
    K自身はその言葉をなかなか信じようとしません。自分の記憶が本物であると確証が持てるまで疑い続けます。このあたりの心理は、期待したくなかったからではないかと思います。普段は同僚殺しを生業にし、どこにいてもレプリカントとして差別され、クソみたいな人生を送っているわけですが、それに対して悩んだり落ち込んだりというよりも「俺の人生なんて所詮そういうもんだ」というあきらめのようなものがKからは感じられます。
    しかしもし本当にKが特別な存在だとしたら、Kの人生は一変します。記憶通りの場所から木馬が見つかり、レプリカントの記憶を作る人から「あなたの記憶は本物だ」と言われて、素直に喜べるでしょうか?
    クソ!なんだったんだ!俺はどうすればいいんだ!せっかくあきらめていたのに、期待しない人生をほそぼそと歩むことに馴染んでいたのに、
    そのような感情が湧き起こったのではないかと思います。人間誰しもが、自分はどこか特別な存在でありたいという思いがあり、レプリカントも同じです。しかしそういうことを考え期待したり夢を見ることは愚かで、現実に待っているのはレプリカントのクソみたいな生活だけだから深く傷つくことでもあります。だからなるべく期待を捨て、レプリカントとしての現実に馴染むことでKは今まで世の中に適応してきました。それを根底から覆されて、大きなショックとある種の怒りが湧いたのだと思います。

  12. motima@管理人 より:

    >>川添さん
    非常に読み応えのある解釈をありがとうございます。
    今までの諦めの人生を否定するような事実が浮上して、その不条理さに怒りが湧いたという線は非常に納得できます!
    しかも後々その事実さえも結局はまやかしで、自分は特別な存在では「やっぱり」なかったことが分かり落胆するK…。哀れにも程がありますよね。
    しかしその彼がなぜデッカードを助けたのでしょう?あるいはなぜデッカードのために命を捨たことに安らぎを感じて逝ったのでしょう?
    自分の人生を弄んだ諸悪の根源と言えなくもない彼に、虚像だったとは言えある種の親子の情が湧いたのでしょうか?う~ん…。

  13. 川添 より:

    その彼が何故デッカードを助けたか。
    その前にご指摘の通り、重大な事実が発覚します。全部Kの勘違いだった。運命を受け入れ、走り出した直後の衝撃、しかもジョイを失った直後。期待したくなかったのに確証のようなものを見せられて期待した結果、やっぱり違いました。いっきにどん底ですね。
    レプリカントの革命軍からは「大義のために死ぬことはもっとも人間らしいことだ」というような言葉が出てきます。使い捨ての存在だったレプリカントが、命令ではなく自らの信念のために死ぬ。それはもはや人間と同等の存在ではないか、魂の宿った存在ではないか。
    ここからは想像でしかありませんが、何もかも失ったKは、自分にとっての信念とはなんなのか考えたのだと思います。おそらく、レプリカントの革命には興味ありません。今彼に思い当たるのは、デッカードの娘が記憶を作った女性本人だったこと。そして生き別れの親子は、お互い会いたいだろうということ。自分がそう思っていたように。ここは同じ記憶を持つ者同士の共感があります。そして革命軍から「デッカードを殺してほしい」と依頼されます。Kはラヴに輸送されるデッカードの元へ向かいます。
    単純にその親子を会わせてやりたいと思ったのではないでしょうか。自分ではなかったけれど、自分もその気持ちはわかる。この親子を会わせてやることで、自分の気持ちも満たされるところがあるのではないか。その過程でたとえ自分が死んだとしても。そうやってKは自らの思いに従い、行動して死んでいったのではないかと思います。デッカードに対する親子の情というのは、半分はそうかもしれません。もう半分は娘に対する同情であり、共感でしょう。これってもはや人間ですよね。Kはそうやって人間性を獲得して死んでいったのではないでしょうか。最後は満足していたと思います。

  14. motima@管理人 より:

    >>川添さん
    な、なるほど!
    人間性を獲得したからデッカードを助けに行った!合点がいきます!
    「大儀のために死ぬことこそ人間性」に対してはふーん( ´_ゝ`)ぐらいのリアクションしか無かったKですが、結局「人間性ゆえに命を捨てることを自ら選択した」訳ですね。
    何か色々腑に落ちました。コメントありがとうございました!

  15. としひで より:

     はじめまして。あなたは「課金したらジョイが復活」ならヒットしたのでは?と冗談のように書いていますが、私はジョイは消去されていないと思います。ディクのホテルでKが寝てる間にネットにアクセス出来たし、その後広告のジョイがKにGOOD JOEと言うのは心配しないで私はここに何時でもいるよ!という事だと思いました。だから当然新しいディバイスを手に入れたら彼女の方から会いに来るはずです。なかなかそう解釈している人がいないのであなたの意見を聞いて見たいです。

  16. motima@管理人 より:

    >>としひでさん
    コメントありがとうございます。
    いろいろ難解な本作ですが内容の解釈に唯一無二の正解はなく、むしろどう解釈するか各人であれこれ考えるのが醍醐味の映画だと思っています。
    その上で私自身の解釈を申し上げるなら「ジョイは死んだ」です。
    おっしゃる通りジョイとKの甘い思い出はサーバーにアップロードされている節があり、別の端末でジョイを復元することは技術的には可能なのだと私も思います。
    が、記憶を引き継いだ別の存在が本人を名乗れるでしょうか。「記憶」と「アイデンティティー」の関係はまさしく本作のテーマの中核であり単純にYes or Noでは捌き切れない問題とは思いますが、KはNoと判断したと思っています。広告のジョイと邂逅したときのやるせない表情がそれを物語っているし、そもそもあの広告の淫靡な雰囲気は純情可憐だったKのジョイとは全く別物です。
    ジョイとの愛を失い、自分のアイデンティティーを失い、守る物が何も無くなった男が最後に取った行動としてクライマックスが用意されている…と考えれば作劇上の辻褄も合います。
    ジョイは死んだ。データとしての記憶はどこかに残っていても「彼女」はもう戻ってこない。
    これが私の解釈です。

  17. Good Joe より:

    >>としひでさん
    管理人さん横から失礼いたします。
    バックアップの有無は分りませんが
    あのシーンはジョイからのメッセージと受け取るよりも
    Kは自身に付けてくれたジョーという名前でさえただのプログラム(宣伝文句の一部から流用)に
    過ぎないと言う事実をはっきり思い知らされ虚構の空しさを実感したシーンだと思います。
    そして虚構の存在である自身と重ね合わせ存在意義を求めて
    自らの意志でデッカードを助け娘に会わせようと決意したのだと思いますが
    私はここから少しKの感情に変化が生じていると考えています。
    ラヴに止めを刺す際に水中で苦しみ命が失われていく瞬間から一瞬目を背け
    最後は雪を見て今まで感じた事の無い感情(美しいとか)を抱いたように見えたので
    前作のロイと同じでレプリカントであるKにも魂が宿ったのでは?と思えました。

  18. 匿名 より:

    監督は最初、デッカードを人間として撮っていた。 でも後から出てきたデッカード・レプリカント説を気に入りパクッた・・・・っていうのが真相だと思う。(だから後から何度も追加撮影した)(事実、ハリソン・フォードはデッカードを人間と解釈し演じている)

    ユニコーンはレイチェルの神格化、最後のユニコーンの折り紙は「レイチェルと行けるとこまで行くがいい」的な意味合いだと思うが、デッカードと共通のユニコーンを発想する(演出)ことをデッカードがレプリカンとなのではなく、「ガフがレプリカント」であると考えたほうが実際に撮られた映像から最大限解釈を広げるのであれば面白いと思う。 つまりデッカードの記憶や夢がガフに移植されていると考えたほうが面白いと思う。(これでもちょっときついけど)

    デッカードを最初からレプリカントとして撮影していたなら、監督の力量なら、もっとそれを匂わせる演出があったはず・・・・例えば「遊星からの物体X」の最後みたいに。  存在する証拠ではなく、存在しないことが証拠・・・・としてデッカードは人間なんだと思う。 そうでなければ監督が才能のない三流監督となってしまう。

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