今回はレトロゲーム愛が暴走したSFコメディ、『ピクセル』でございます。

謎過ぎるカメオ出演が味わい深い…
あらすじ

テレビゲーム型の宇宙人が襲来。地球を救えるのは、かつてのゲームオタクだけ。
昔はゲームチャンプ、今はただの電気工のおっさん――アダム・サンドラーが立ち上がる!
前評判:地獄の27点
主演は『リディキュラス6』『ドゥ・オーバー!』と迷走街道を爆走してきたアダム・サンドラー。
映画自体もIMDbメタスコア27点という、もはや“観る前から墓場”な数字を叩き出した問題作だ。
正直、面白いわけがない映画である。
ところが、ながら観してたらこれがかなり面白いでやんの。ネットの悪評を鵜呑みにしてゴメンね。
もちろん「評判が悪いから心のハードルが下がった効果」もあるだろうが、本当にダメな映画はどんな条件でもダメだ。モービウスとか。
夜の街を食らう巨大パックマン
「レトロゲームのキャラが巨大化して街を襲う」――出オチ感満載の設定。もともと短編映画が原点だけに、アイデア勝負で終わってもおかしくない。
だがハリウッドの潤沢な資金が加わると、バカバカしさが逆に映像の迫力と融合する。
最大の見せ場はやはり巨大パックマンとのチェイスだろう。
夜の街の闇に、あの黄色いまるがギラつく。疾走感、破壊音、そして逆転の一手。バカ映画でありつつなかなか痛快だ。
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』でもそうだったが、どうやらアメリカではパックマンが80年代ポップカルチャーの聖遺物らしい。
俺様はファイア・ブラスターだ!
とは言えギャグの切れ味は全体的に鈍い。サンドラーが何を言ってもスベるのは、もはや最近の彼のキャリアにおける様式美に近い。
しかしピーター・ディンクレイジが登場すると空気が変わる。
『ゲーム・オブ・スローンズ』のティリオンで名を馳せた彼だが、もともとコミカルな役で光る名優。本作のエディは人間性が腐りきっているのに、なぜか愛嬌がある。これがスター性ってやつか。
そして日本語吹替では神谷明が炸裂。「セリーナ・ウィリアムズとマーサ・スチュアートのもっこりサンドを所望するぜ」などと、どうしようもない台詞を全力で放つ。
ちなみにこの二人、ただの名前遊びではない。
セリーナは女子テニス界の絶対女王、マーサはアメリカ家庭文化の女帝。つまりアメリカ資本主義の成功の二大アイコンなのだ。
この二人欲望の対象に並べるあたり、しょうもない映画にしては妙に深長な風刺が潜んでいる。熟女好きにもほどがあるが。
映画は楽しければ価値がある
脚本は穴だらけ。ブライアン・コックスは顔だけ出して何の伏線にもならず、エディの裏切りもノーペナルティ。
評論家が酷評したのも納得だ。
だが、映画は必ずしも名作である必要はない。
観ている間に観客を楽しい気分にさせる、それだけで十分に価値がある。翌日には内容を忘れていても、観ている最中に笑えれば勝ちなのだ。
『ピクセル』はその典型だ。バカバカしさと映像の迫力が手を取り合い、くだらなさの中に妙な幸福感を残す。親子でも観られるし、オタクが観ればさらにニヤリだ。
酷評の山に埋もれたこの映画、実際に観てみれば意外と掘り出し物だった――そういう話。

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