今回は『ワン・バトル・アフター・アナザー』の感想です

全然乗れなかった。
長すぎる上映時間もあって厳しくいくわ。
あらすじ

制作 2025年
監督 ポール・トーマス・アンダーソン
主演 レオナルド・ディカプリオ、ショーン・ペン、ベニチオ・デル・トロ
主人公ボブ(ディカプリオ)は、かつて極左テロ組織「フレンチ75」の一員として楽しくテロ行為にいそしんでいた。
彼は色々あって、今は最愛の娘ウィラと平凡ながらも冴えない日々を過ごしている。
しかしボブの過去、特にウィラの母親に異常な執着を持つ変態軍人ロックジョー(ショーン・ペン)が現れたことでボブの生活は一変。
彼は娘を守るため、謎の空手道場のセンセイ(デル・トロ)の助けを借りつつ逃走劇、否、闘争劇に身を投じることになる。
いつものPTA
前提知識が不足していたみたい…
ポール・トーマス・アンダーソン、通称PTAと言えば、誰もが認める現代映画界の頂点。三大映画祭を一人で制覇した偉人。
…ところであっしは『パシフィック・リム』と『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を生涯ベストに挙げるチンケな映画好きでごぜぇやして。
そんなんだから正直、これまでずーっとPTAの映画がピンと来なかった。どれもこれも高尚過ぎるのだ。
だから『ワンバトル―』も敬遠してた。
でも余りの評判の良さに「今回こそ俺にも良さが分かるかもPTA!」と思って見に行った。
やっぱダメだった。
ぜんぜん面白くない…と言うか、よく分からない。
ショーン・ペンがイカれた追跡者として登場するが、最後まで警察官なのか軍人なのかよく分からない。
いや警官扱いではあったけど、何一つ警官らしいことせずに軍用ヘリに乗ってアサルトライフル構えてる。
アメリカってそんなに軍と警察の境界が曖昧なの?(いやそんな筈ないだろ…。)
あとメインの舞台になるのがメキシコ国境の「聖域都市」。
ここはアメリカ国内でありながらメキシコ人しか住んでいない自治区。
「そうかアメリカには移民しか住んでいない街があるんだな。そりゃ確かに老害は嫌がりそうだ。」
…と思ったらそんな都市は実在しないでやんの。
え、じゃあ何この設定?寓話ってこと?
政治風刺なのかディストピア近未来ものなのか、脳内は「???」だらけだ。
それに、いくら移民でもでっち上げの容疑で大量摘発なんて出来るの?
第二次トランプ政権は確かに移民追放に気焔を上げているけど…『ワンバトル―』はその欺瞞に満ちた実態を描いているってこと?
…なんも分からん。
どうやら自分は、この映画を楽しむに当たっての前提知識が決定的に足りていないみたいだ。
そりゃ楽しめない訳だぜ…。
ディカプリオの頑張りがエンタメ性を支える
ただディカプリオの頑張りは面白かった。
若い頃は左派テロリストとしてブイブイいわせてた彼。だがすっかり年を取った今は、ノンバイナリーの若者に眉をひそめる”ファッション左翼の老害”。
そんな彼が娘を取り戻すために四苦八苦するのが本筋の筈だが、ストーリーの先頭集団に常に置いてきぼりを食らっており、とうとうラストまで事態の解決に何一つ寄与しない。
これは『ノーカントリー』のトミー・リー・ジョーンズと立ち位置もテーマも共通しているだろう。
つまり時代遅れのおっさんは、複雑&急速に変わりゆくこの世界に対して出来ることはもう無いというシニカルなメッセージである。
だがそこを「うるせえ!俺は娘を取り戻したいだけだ!」という勢いで駆け抜けるデカプーは愛さずにはいられない。これがスター俳優ゆえの引力なのだろう。
まあ、映画としての風格はある…かな?
クズ過ぎる母親
さてこの映画で一番のクズは誰か?
あっしが最もモヤモヤ、いやはっきり不快な感情を抱いたのは変態ショーン・ペンでも、白人至上主義の秘密結社連中でもない。母親、ペルフィディアだ。
性欲ジャンキー。アドレナリン中毒の狂犬。
「革命」という便利ワードで糊塗した暴力衝動に突き進み、威勢よく自己正当化しながら育児を放棄。
あげく仲間を売って自分だけ生きながらえるという、胸糞悪いクズっぷり。
こんな人間、ちょっと他の映画じゃお目にかかれない。
あのな。子育てってのは自分の都合のいい時だけ子ども愛でることじゃないんだよ。
イライラするときも、疲れ切ってるときも、それをグッとこらえて(まあ時々発散して)それでも子に寄り添うのが子育てなんよ。それを出来る人が親なんよ。
その点ボブは100点満点じゃないにしろ、ちゃんと親だった。不器用なりにちゃんと娘に寄り添ってた。
だが母親はほんの小さじ一杯分だけ悪びれたあと「今から母親としてやり直すのは遅いかしら?」と改心ムーブ。
いや、あーた、遅いかしら?って言われてもこちとら「あっ、ハイ」しか無いよ。
死体山積みのこの映画で、こいつが無事のまま映画が終わるのがもう心底納得出来ない。
モヤる、ではない。はっきり不快だ。
巨匠の底力は堪能できる
だが、冷静になって考えてみれば、この底知れぬ「不快感」こそがPTAの突き刺し方なのかも知れない。
この映画は現代アメリカの政治的寓話であると同時に、崩壊した家族の修復不可能な現実を描いている。
「不快だ!」と叫びたくなるペルフィディアも、過激左派イデオロギーや自己愛が残した巨大な「負の遺産」と思えば意義が見えてくる。
だからこそボブの不格好な頑張りが、血縁やイデオロギーを超え、この狂った世界で唯一の確かな「愛」としてズドンと胸に響く。
なんだかんだ言って、この映画の持つ狂騒と泥臭い人間ドラマの引力には光るものがあるのだ。
観客のモヤモヤを放置したまま、それでも「さすが巨匠だ…」と思わせるPTAの手腕に脱帽せざるを得ない一本だ。

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