今回は『フォールアウト S2』第8話(最終話)の感想です。

ハンクとステフが元夫婦って設定、要った!?
今週のあらすじ

ついにハウスの人格コピープログラムに到達したグールは、家族との再会という執念のゴールに手をかける。
一方マキシマスは、ルーシーにもう一度会いたい一念でデスクローとガチバトル第二ラウンドに突入。絶体絶命の窮地で、NCR型パワードスーツが彼の闘志に呼応するかのように真の出力を解放する。
そしてルーシーは、人格制御ユニットの正体が「統治しやすい無垢な善人」として選ばれた生首おばちゃんである事実に直面。変わり果てた姿で「コロシテ…」と懇願する彼女を前に、ルーシーは「なんでみんな私に介錯を頼むのよ!」と真っ当すぎる絶叫を響かせるのだった。
シーズン2クライマックス!
やってくれたぜ!
最終話で実に景気のいい爆発を見せてくれたよ『フォールアウト S2』。
そろそろ凄惨な暴力と陽気なカオスの全力融合が見たい…そんなフォールアウト欲に真っ向応えてくれた良き回でした。
グールの旦那、冴える

まず何と言っても我らが賞金稼ぎ、グールの旦那の帰還が嬉しい。
ルーシーが絶体絶命のピンチに陥ったその瞬間、まるで見計らったかのように助けに現れる旦那。そして悪党をさっさと殺して終わらせるんじゃなく、ルーシーに武器を放り投げて「どうするかは自分で決めな」だけで去っていくマカロニウエスタンの王道ムーブ。
シブい! シブすぎる!
シーズン2ではクリーチャーにビビり散らすわ重傷で転がり倒すわで当初のクールさが行方不明だったが、この一撃で全部取り戻した。
マキシマスのあんちゃん、吠える

そして今回のMVPは間違いなくマキシマスだろう。
NCRカスタムのパワードスーツを駆り、世紀末の覇者デスクローと真っ向から殴り合うその姿には「ゲーム原作の実写化ドラマ」に必要なすべてが詰まっていた。
さらにスーツが大破してもなお、ボロボロの身体で盾と槍を即席でこしらえ立ち向かう。立ってるだけでやっと。デスクローのデコピン一発で四肢爆散確定。でも逃げない。
そこにはシーズン1の心豆粒マキシマスはもういない。今いるのは『グラディエーター』ラッセル・クロウの方のマキシマスを半分くらい輸血されたマキシマスだ。
成長物語としての縦軸がここにきて極まった。
だが依然として彼の中には信念が無い。
マキシマスの内側にあるのはB.O.S.らしい正義やVault-Tec社への義憤ではない。ルーシーに会いたいという童貞ならではの強い執着だけだ。
私欲のために凄まじい底力を発揮する英雄性…それこそマキシマスの隠れた危険人物っぷりの正体。だからこそ、彼の変化がスリリングで目が離せない。
リージョン VS 新カルフォルニア共和国(NCR)
まあそんな大ピンチにタイミング良くNCRの本隊が助けに来る展開はさすがに唐突じゃなかろーか。
残党が散り散りで「残ってるのは二人だけ」って言ってたじゃん!いつの間に再編成したんだよ!
え、マジで私が見逃した伏線とかあった?
あと、1話限りのゲストかと思われたマコーレー・カルキン(中年ver.)だが無事再登場。あげくドサクサに紛れてリージョンの長…つまりシーザーに就任。そして「ラスベガスにシーザーズパレスを築く!」というダジャレを掲げる(シーザーパレスはベガスに実在する超有名ホテル)。しょうもねー!
おかげでNCRとの全面戦争が秒読み。迷惑指数が天元突破すぎだろ中年カルキン…。
このしょうもないダジャレは、「なんでわざわざマコーレー・カルキン…?」という視聴者の疑問への一つの回答にもなっている。
カルキン坊やと言えば、かつて世界一有名だった子ども。その彼が中年となり、超しょうもない知性のオーナーとして暴虐の限りを尽くす。
これは、文明崩壊世界の子供部屋とも言えるVault育ちのルーシーが「かつての世界の子供の象徴」と戦うべき運命を示唆している…って解釈もできる。
結局、人はどう生きるのが正解なのか?

この世界じゃ何が結局正しいの?
派手なアクションが目を引くが、これまで通り裏テーマは深淵。
善とは何か。この最終話はそんな問いを投げかける。
善良な議員おばちゃんは、その御しやすさゆえに人格制御ユニットとして生首のまま200年生かされた。善人であることが永劫の苦しみを受けるためのチケットという、まさしくこの世の終わりみたいな皮肉。
これは「良い人は結局損をする」というレベルの話ではない。核戦争後の世界では水・電力・武器よりも善良さこそが最も希少で、最も搾取される資源であることを示している。
じゃあ人間はどう生きるべきなのか?
その問いに対し、ルーシーの父ハンクは「選ばれたエリートによる大衆管理」という思想に行き着いた。
そしてハウスを「人間を人格の無いロボット的存在に変えようとした!ひどい!」と批判する一方で「自分は違う。理想の善良さに上書きするだけからマジ良心的」と大真面目に主張する。
人の自由意志を奪ってるだけでどっちもカスだが、ハンク本人が「これは善意だ」と信じ込んでいるのがタチが悪い。と言うより”希少資源”を有効利用してる積もりなのでそもそも善悪で判断してない。ハンクの脳内にあるのはシステム繁栄の効率化だけだ。
もしプーチンの脳を慈悲深い聖人に書き換えるボタンがあれば、私は迷わず連打するだろう。
だがルーシーはその安易な救済を拒絶。彼女が制御ユニット(生首)をバールで粉砕する姿は、管理された平和よりも血みどろで愚かな自由を選んだ瞬間だ。
それがウェイストランド(=人間)だ
その結果として、再び始まるリージョンとNCRの戦争。
ルーシーの決断は自由を選んでヨカッタネという話で終わらない。むしろ自由も管理も、どちらも人類を破滅に導く構造的欠陥を抱えているという『フォールアウト』ならではの視点の到達点である。
これから焦土と化すベガスを前に「私のせいね」と自責するルーシーの手を、マキシマスが例のヘラッとした笑顔で握りしめ「でもそれがウェイストランドだ」と肯定するラストシーン。
このシーンが実に沁みる。
君のせいじゃないという優しさと、人間は結局バカな方向に突っ走るという諦念が同居。どの選択肢を選んでも結局人間は愚かさから逃げられないのだ。このユーモアと深刻さの絶妙なバランス感こそ、ドラマ版『フォールアウト』が単なるポストアポカリプスものに留まらない証拠だろう。良き。
さて。
ついにその片鱗を見せた悪の秘密結社エンクレイヴとか、即死ビーム出す例の巨大ロボについてとか、語り足りないことは山ほどある。だが字数も増えちゃったし、今回は最終話の感想記事ってことでこのへんで!
近々、自分の脳内整理も兼ねて考察記事書きます!

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