『ストレンジャー・シングス』最終話感想 ありがとう…それしか言葉が見つからない

今回は『ストレンジャー・シングス』最終話の感想です。

エモすぎるでしょ…すべてが。

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あらすじ

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ホーキンスの面々は最終決戦に挑む。
そして全ての物語が幕を閉じる。

 

 

すべてがエモい

正月配信という特等席の覚悟

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1月1日午前10時。
この時間に配信するという事実だけで、制作側の“覚悟”が伺える。おせち食べてる場合じゃないぞと言わんばかりの強気スケジュール。リアタイ視聴以外はさせない、それに値する作品を作ったという絶対的な自負がここにはある。

で、実際に観てみたら……その覚悟は正しかった。
エモい。すべてがエモい
語彙力が吹き飛ぶほどの感情の嵐だ。
「泣く準備はOK?」と問われ、こちらが「まあまあかな」と答える前に涙腺を破壊しにくるような容赦の無さ。

この“正月配信”という大胆ムーブは単なる話題作りではなく、作品の完成度に対する絶対的な自信の表れだったのだと返す返すも痛感する。
ホーキンスの子どもたちが大人になり、物語もまた大人になった。そんな節目を、年の節目にぶつけてくるセンスよ。
新年早々、心を持っていかれた。

 

エピローグが本編

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そして驚愕なのは、2時間という尺の使い方だ。2時間ってだけでドラマシリーズとしては異例なのに、しかも「最終決戦が2時間」ではない。
「最終決戦+エピローグで2時間」なのだ。

後半ほぼ丸ごとエピローグ。こんな贅沢な構成、見たことがない。普通なら最終決戦で盛り上げて、余韻は10分くらいで後はエンドロールではないだろうか。
だが本作は違う。
エピローグを“本編”として扱っている。
キャラクターたちのその後を、丁寧に、慈しむように描き切る。

「Netflixの看板コンテンツだから2時間スペシャルにしました」なんて浅い理由ではない。2時間なければ最終決戦+エピローグが成立しない物語だったのだと、観終わってから腑に落ちる。

ヴェクナとの決戦はもちろん迫力満点だが、真に胸を打つのはその後の静かな時間。
戦いの余韻、成長の証、別れと始まり。
シリーズが積み上げてきた“時間”そのものが、エピローグに凝縮されている。
この構成は、もはや反則級のエモさだ。

 

 

涙腺が爆発決壊するラストシーン

やっぱ怪獣が出ないとね!

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ファンの高すぎる期待値を背負いながら、ダファー兄弟ら制作陣は「自分たちが納得できる物語」を描き切った。この誠実さと気概が画面の隅々にまで染み込んでいる。

エルがまだ幼さを残していた頃。マイクが“お坊ちゃん感”を隠しきれていなかった頃。
――そんな過去のビジュアルを追想シーンとして挟み込み、視聴者に「ここまで一緒に歩いてきた時間」を強制的に思い出させる。
これが実に涙腺に効く。

その一方でSFとしての華も忘れない。
特に受肉したマインドフレイヤのビジュアル。壮大な物語に巨大怪獣は必須だとあらためて思い知らされる。

細かな演出もいちいち刺さる。
「ルーカスのパチンコ攻撃」「ナンシーの重火力」「ジョイスの必殺斬首」。
それぞれのキャラクターが歩んできた歴史がそのまま戦闘スタイルに結実している演出に、観ていて笑いと涙が同時にこぼれる。

 

卒業

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そして繰り返しになるが、最終決戦後の“たっぷりエピローグ”。これが本当に胸を打つ。
スティーブたち年上組、ジョイス&ホッパーの大人組、それぞれの人生の続きを描く姿勢が実に誠実だ。

だが、やはり白眉はマイクたちの“最後のアレ”だろう。
それぞれの名前の書かれたD&Dのゲームブックを順番に本棚へ戻していくシーン――
あれはもう、もう何というか、涙腺が爆発する

人生は続く。
何かを本棚にしまって変化を受け入れることが、生きるということ。

『ストレンジャー・シングス』がキャストらの実年齢の成長をも通してずっと描いてきたテーマが、ここで見事に結実した。
キャストたちが台本読み合わせで号泣したというエピソードも、単なる宣伝用の美談ではなく作品の“積み重ね”が生んだ必然だと感じる。まさに時間の集大成だ。

卒業というベタなモチーフを、ここまで美しく昇華する『ストシン』の底力。これ以上の着地点はあり得ない。
この最終話はつまり、視聴者と制作陣の双方にとっての最高の卒業式だったのだ。

 

 

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