真実はいつも一つぐらい! motima です。
Netflixでつい先日配信開始となった『午後8時の訪問者』 を観てみた。
うーん...。
いい映画だとは思うのだが、如何せん自分には退屈すぎたぜ(;>_<;)
評価:
町の診療所で働く若き女医ジェニーはある晩、診療所の呼び鈴が鳴るのを聞く。
しかし受け付け時間はとっくに過ぎており、なおかつその時たまたま部下に絶賛説教中だったのでジェニーさんはガン無視を決め込むことにした。
翌日、くだんの呼び鈴を押した少女が死体で発見され愕然とするジェニー 。
状況的にどうやら少女は誰かに追われ、助けを求めて診療所の呼び鈴を押したらしかった。
「自分があのとき応対していればこの子は死なずに済んだのかも知れない...」
良心が咎めるジェニーは、少女が誰で何故死んだのかを知るべく独自の捜査を開始する。
というお話だ。
デジャヴだろうか。前にも「死んだ身元不明少女の謎を追う医療従事者」みたいな映画を観た気がする...
あ!思い出したアレだ『イースタンプロミス』だ!
↑ これは圧倒的名作!
ヴィゴ・モーテンセンが股間のアラゴルンを放り出して戦うサウナのシーンは圧巻だ!
そんな先入観があったので『午後8時の訪問者』のジェニーも、死んだ少女の身元を探るうちにいつしか社会の闇に足を踏み入れることになるのだとてっきり思い込んでいたが…。
本作、まったくそんな映画じゃなかった。
と言うかサスペンス映画ですらなかった。
一応少女が死んだ事件の全貌は明らかになるのだけど「え、それだけ!?」と言いたくなるようなそっけなさだ。
スリルや謎解きを目当てにするには淡白過ぎる(´ε`;)…
どうやらこの映画の真髄は殺人事件ではなく、ジェニーを通して描き出されるフランスの今日の風景であるらしかった。
それは糖尿病で足が悪いのに施設が地理的に遠いせいで社会保障を受けられない老人だったり、親子二代で精神疾患を抱える貧困世帯であったり、厳しい生活を強いられるアフリカ系移民の姿だったりする。
大袈裟な事件は起こらずとも、登場する人物達とその背景には確固たる存在感がある。
『午後8時の訪問者』は、 良識という観点で現代を斬った社会派ドラマだったのだ。
それは分かる。
そのコンセプトは理解できる。
だが、映画自体が面白かったかと聞かれれば圧倒的ノーだ。
前述通り、話の縦糸となる黒人少女変死事件の顛末はあまりにもあっけない。はっきり言ってガッカリだ。
しかもその解決に至るまでの道のりが非常に淡々としており、BGMさえほとんど無いので退屈極まりない。生々しい空気感を生む演出上の工夫であるのは分かるのだが…。
それに全編を通じてセリフとセリフのあいだの「間」が妙に広いのも眠気を誘う 。
何にせよ、期待していた内容とは違った映画だった。残念。
…と言うか本当のこと申し上げると、ダルデンヌ兄弟の映画を面白いと思ったことない。
あと要らん茶々になりそうだが、研修医のジュリアンが心底不快なヤローだった事は付け加えておきたい。
多少上司に小言を言われたくらいでスネて職場放棄するウンコみたいな人間性にも辟易だが、痙攣を起こしていた子供を前に自分が何も出来なかったのは幼少期の辛い記憶のせいだと抜かし始め、揚げ句の果てに「だから医者辞める」とか言い出す甘ったれっぷりにはもう呆れ果ててしまった。
痙攣や大出血を伴う外傷など壮絶な状態の患者を前に、頭が真っ白になって立ち尽くしてしまうのは全ての医者が一度は経験する事態だ。誰でもみんな初めはそうなのだ。
そこから研鑽を積むことでみんな一人前の医者になっていく。
その道は結構辛くて厳しいが、それが医者の責務なのだ。
なのに本作のジュリアンと来たら、幼少期のトラウマ云々を持ち出して「何もできなかった自分」をある意味正当化している。
単純に能力と経験が乏しかっただけなのにその不格好な事実から目を背け、物語化して悲劇の主人公ぶっている。
一言で言えば逃げている。
とんだ甘ったれクソ野郎だ。
こんなアホには誰かがそれこそガツンと言ってやるべきなのに、上司のジェニーったら「ごめんなさい私ったら強く言い過ぎてしまったわ」とか何とか言ってやけに卑屈。おおーい!
俺自身も医者だから、医者という職業を変な方向に物語化するこんな描写には我慢ならねえ。