おすすめ度
■ ■ ■ ■ ■ ■□ □ □ □ 6点
【あらすじ】
バットマンは、両親を殺害されたトラウマから犯罪を憎み、ひとり夜のゴッサムシティで悪党相手に長年奮闘してきた。
一方スーパーマンはその圧倒的な力を人助けのために使うが、前作でゾッド将軍を撃退した際に壊滅的な被害が生んでしまったことからやがて人々の恐怖の対象になっていく。
一方スーパーマンはその圧倒的な力を人助けのために使うが、前作でゾッド将軍を撃退した際に壊滅的な被害が生んでしまったことからやがて人々の恐怖の対象になっていく。
そんな二人を対立させるべく、若き天才犯罪者が暗躍し始めていた…。
『ワンダーウーマン』が評判好調です。鳴り物入りで参入したジェフ・ジョーンズ効果が早くも発現したのか?
せっかくだから俺はDCコミックス映画を振り返るぜシリーズその③!
前作『マン・オブ・スティール』で滅々とした性格に生まれ変わったカル・エルことスーパーマンが、映像化作品史上最もやさぐれている今回のバットマンと暗さの頂点を競います。
※注意!※
内容・結末に触れまくりのネタバレ全開なので未見の方はご注意ください。
内容・結末に触れまくりのネタバレ全開なので未見の方はご注意ください。
目次
よかったところー
どうしようもないほどひねくれている
本作ではバットマンがこれ以上ないほどやさぐれています。これがとっても良い!
前作『マン・オブ・スティール』 では「人としての正しさ」の象徴であったはずのスーパーマンが悩み苦しみ矛盾を抱えてしまい、信じるものが無くなった陰鬱な世界観が強調されました。『ダークナイト』と同じ「正義不在」路線です。
ところがバットマンはもともとひねくれた狂人。くだんの『ダークナイト』でもジョーカーと表裏一体という面がつぶさに描写されていました。スーパーマンと違って今更バットマンが悩んだり矛盾に苦しんだりしても驚くには値しないのです。
という訳で本作のベン・アフレック版バットマンはもうとことんまでひねくれた究極のやさぐれヒーロー。どのくらいやさぐれているのかと言うと、クリス・ノーラン版の三部作ではあれほど頑なに固執していた「不殺」という信念をあっさり棄てるくらいです。
あげくレックス・ルーサーにまんまと乗せられ、本来悪人であるはずもないスーパーマンを恐れるあまりに「もう排除するしかない!」と発想の飛躍を遂げます。ひねくれているだけでなく頭ガチガチに固い。
ブッコロ系
本作のベンアフ版バットマンはもう、マーベルコミックスのパニッシャーもかくやというくらい並みいる悪党どもをブッコロしてしまいます。
「こんなのバットマンじゃないやい!」とファンからは非難囂々だったと聞きますが、もともと原作でもバットマンは絶対不殺のキャラではありません。『キリング・ジョーク』のラストではジョーカーを絞め殺している(という解釈もできる)し、本作の下敷きになっている『ダークナイト・リターンズ』では殺意むき出しで行動するバットマンにジョーカーの方が困惑するというシーンがあります。
終盤、カル・エル育ての母マーサを悪党どもから救い出す場面は彼の残酷性が火を噴く名シーン。
敵から奪った銃を乱射して射殺する。
敵の手榴弾を逆利用して爆殺する。
悪党の一人を思いっきり壁に叩き付けるシーンでは、頭から脳漿出たとしか思えない量の血のりがビシャっと飛び散ります(Netflixで配信されている生ぬるいバージョンでは血のりはカット)。マーサもドン引きです。
いったい何が彼をここまで変えてしまったのでしょう。
積もり積もった虚しさと焦り
カギとなるのはロビンの存在でしょう。ここで言うロビンが、ディック・グレイソンのことなのかジェイソン・トッドのことなのかは映画を観ただけでは分かりません。確かなのはかつての相棒がすでにジョーカーによって殺害されているという点です。ボロボロになったロビンのコスチュームに蛍光のスプレー缶で毒々しく書きなぐられる不吉なメッセージが、その事実を如実に語ります。
ブルース・ウェインの設定年齢も上がっているのもポイントです。それこそ少年時のトラウマから始まり、若い時分をすべて悪との闘いに捧げ何十年も戦ってきた。しかし良い結果はなに一つ得られず、それどころかロビンは惨殺されジョーカーは野放し。挙句もうすぐ自分がヒーローとして活躍できる年齢の上限に差し掛かかる。この虚無感と焦りがブルースを暴力に駆り立てているのです。
スーパーマンのことを人類を滅ぼしかねない究極の脅威と認識し、彼を排除することが既に若くない自分の最後の役目だと決心するのにはこういった精神的な背景があります。もっともそこをレックス・ルーサーに付け込まれてしまうのですが・・・。
実は原作に忠実
本作のバットマンは長年の戦いに疲れ切った老兵です。
「人を殺すなんてバットマンじゃない!」という意見はクリス・ノーラン版三部作を愛する人にとってはごもっともなのですが、本作ではこれで良いのです。アラン・ムーアが『ダークナイト リターンズ』で描きたかった最後のバットマンが忠実に映像化されているのです。
「人を殺すなんてバットマンじゃない!」という意見はクリス・ノーラン版三部作を愛する人にとってはごもっともなのですが、本作ではこれで良いのです。アラン・ムーアが『ダークナイト リターンズ』で描きたかった最後のバットマンが忠実に映像化されているのです。
よくなかったところー
しかしバットマンが凄く良いのに対し映画全体としては微妙過ぎます。ツッコミどころが満載で全然入り込めない・・・(´;ω;`)
悲しみの本作ウィークポイントを列挙してみます。
その① 人質かよ!
上の通り、バットマン側にはスーパーマンを何が何でも排除しなければならない理由があります。たとえレックス・ルーサーに乗せられているとしても、モチベーションの源泉は彼自身です。
では逆側のスーパーマンはどうでしょう。彼は一体なぜバットマンと戦わなくてはならないのか?
正しさの体現を目指し、その超越した力で人々を救おうとするスーパーマン。
自ら恐怖の象徴の衣装をまとい、犯罪の撲滅のためなら拷問や殺人もいとわない本作版バットマン。
確かに主張は真っ向対立しそうですが、温厚なスーパーマンがバットマンと本気で戦い合うことになる直接の動機とは一体何なのか!?
こたえ:人質
ヽ(・ω・)/ズコー
この展開を見たときほんとに椅子から落ちそうになりました。
人質て!スーパーマン自身の信念はまったく関係ないのかよ!ここまでの2時間、一体なにを描いてきたんだよ!
マーベルの『キャプテンアメリカ/シビルウォー』があれほど大勢のキャラクターを網羅しキャップとトニーのどちらに見方するのか、その動機付けを丹念に描いてきたのとは対照的です。こっちはバットマンとスーパーマンの二人しかいないのに、片方のスーパーマンには特に対立に至る理由が無いときたもんだ。
本作のキャッチコピーは「世紀の対決」でしたが、全然対決じゃないです。バットマンの一人相撲です。
大体、ロイス・レーンだったら違う大陸でもピンチに駆けつけるのにマーサは近所でもあっさり誘拐を許すというのも整合性に欠ける話です。
もう!(*`Д')
その② 肝心の対決がこれかよ!
と言う訳でのっけから盛り上がらない本作最大の見せ場「バットマンとスーパーマンの対決シーン」ですが…。
まずそもそもスーパーマンがちゃんと事情を説明すれば対決自体避けられるという点が気分にブレーキをかけます。そしてバットマンも彼の話をまったく聞こうとしないので更にじれったい。
あげくあと一歩で勝てる!という場面でバットマンが急に戦闘を放棄します。スーパーマンの断末魔の叫び「おかあちゃん!」を聞いて自分もおかあちゃんのことを思い出し戦意を喪失したもよう。ってなんだそりゃ!
いくら母親が大切だからって、お前の信念はそんなものなのか!?ここまで2時間かけて描かれてきた信念はそんなことで萎えるのか!?ジョーカーが「おかあちゃん!」って言ったらアンタ許すんかい!
二人の母親の名前がどちらも「マーサ」で被っていたというのが一応伏線回収も兼ねたどんでん返しのファクターなのですが、逆に被ってなかったらブッコロしてたんかい!と突っ込みたくなります。
スーパーマンのお母さんが「ステファニー」とかだったらトドメさしてたんでしょうかね。「ス、ステファニー!」グサー
スーパーマンのお母さんが「ステファニー」とかだったらトドメさしてたんでしょうかね。「ス、ステファニー!」グサー
納得しかねる・・・。
その③ 結局緑のソレかよ!
個人的にはバットマンの切り札が結局またクリプトナイトという点もがっかりでした。
今までのシリーズでもそうでしたが、あれほど強いスーパーマンがたかが緑の石ころでヘナヘナになるというのはどうにも映像的な説得力に欠けるので好きじゃないんです。リアル路線の本作ではさらにその不自然さが際立ちます。
お約束なので当然こうなるとは思っていましたが、予告編でかっこよすぎる重装甲バットマンを見たときはもしかしてこのスーツなら『ダークナイト リターンズ』よろしくスーパーマンと互角に戦うことができるのか!?と期待したのです・・・(いや原作でも結局オリバーにクリプトナイト矢で援護されるけど)。
スーパーマンが水に沈んだクリプトナイトを潜って取ってくる→うつ伏せ状態でプカ~と浮かんでくる、というシーンはコントみたいで笑ってしまいました。後ろでワンダーウーマンとドゥームズデイがガチバトルしているので尚更滑稽です。
そろそろクリプトナイト離れしても良くないか?
その④ レックス・ルーサーは何がしたかったんだよ!
DCユニバースには「何がしたいんだよ!」という疑問自体を無効化するジョーカーという究極の狂人ヴィランがいます。本作のレックスも結局何が目的だったのかは明かされないままなので、ある意味ではジョーカーと同じく「理由を求めても無駄」キャラなのでしょう。
が、それにしては本作のレックスは理知的に描かれ過ぎています。ジョーカーに似ているどころか、むしろ億万長者で教養に富み社会的な強みを活かして暗躍します。アナーキーさ皆無です。
軽薄そうな普段喋りの下にとんでもない狂気を隠しているという複雑さがジェシー・アイゼンバーグにガッチリ嵌まっている点はむしろグッドなのですが、逆にそれがキャラの性格と行動のちぐはぐさを生み話への没入度を下げてしまっています。
と言うかぶっちゃけヒース・レジャー版ジョーカーほどのカリスマ性が無いため、常人の理解を越えた行動を取っても一周回って「ただの変な奴」になってしまっています。『ジャスティスリーグ』では掘り下げられるのかしら・・・。
それでもやっぱりよかったところー
やっぱりワンダーウーマン
こき下ろしてしまいましたが、本作最大の見せ場については言及せずにはいきません。
ワンダーウーマンの登場シーンです。
なぜなら『ワンダーウーマン』が次回作に用意されていることをほとんどの観客が知っているから。
ダイアナが何者か本作の時点で分からなくても、続編で説明されることが確実なので安心して現在の活躍だけに没入できるという訳です。ある意味では「三部作は真ん中の一作が一番面白いの法則(=キャラの説明に尺を割かずに済み、なおかつ話を結ばなくても済むので自由度が高い)」に通じるものがあります。
スーパーマンもバットマンも彼女の突然の参戦に「え、誰?」となっていましたが、DCユニバース的には計算済みなのです。憎い!
かっこよすぎるガル・ガドット
本作で初お披露目となった彼女のビジュアルがやたらに完成度高いのも、この超展開が受け入れられた大事な理由でしょう。
時代が違うので一概に比較できるものではありませんが、率直な感想としては御免こうむりたいビジュアルです。しかし本作で突如画面に舞い降りたワンダーウーマンはかっこよすぎます。美麗とマッチョの完璧な融合です。
特にドゥームズデイに吹っ飛ばされた時に、ダメージを受けつつ「上等だ!」とばかりに口元が緩む演出が素敵すぎます。
冴えわたるザック・スナイダー節
前作『マン・オブ・スティール』ではクリプトン星人たちの「瞬間移動レベルで高速攻撃→減速を経ずいきなり静止」という物理法則を無視した異様な挙動でその戦闘能力の破格さを演出していました。ザック・スナイダーならではの卓抜した映像センスです。
本作では映像的な迫力は更にパワーアップ。
キャラクターたちのあまりに素早い動きにカメラがついていけず一瞬画面が置いて行かれる演出がとりわけ素晴らしいです。『トゥモロー・ワールド』で臨場感の表現として「画面に泥が付着する(CGでわざわざ泥を描き加える)」というメタ的な演出を編み出し賞賛を浴びた巨匠アルフォンソ・キュアロン監督に通ずるものがあります。
「俺の手には負えないぜ!」
ドゥームズデイ相手にスーパーマンとワンダーウーマンの超人二人が丁丁発止の間、バットマンはボーッと見ているだけという点も良いですね。空気を読んで急に強くなったりしない。キャラクターへの深い理解と愛情が感じられます。それでも一応一矢報いるカットもあるしね!
しかしこのバットマンの戦闘能力の低さは今後どう描かれていくのか私気になります。
『ジャスティス・リーグ』の予告編でフラッシュことバリー・アレンに「で、あなたのスーパーパワーは?」とナメた口を利かれたときも「お金持ち」と答えるしかないところに可笑しみと悲哀がこめられています。
まあ、今でこそアイアンマンと強さ的に互角な扱いになっているキャップも、1作目『アベンジャーズ』のときは相当弱かったのでこれからこれから!
『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』はNetflixで見放題配信中だよ!生ぬるいバージョンだけど!