映画

老老介護と小娘がゆく冥府魔道『LOGAN/ローガン』 ※ネタバレあり


おすすめ度
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ □  9点

【あらすじ】
近未来では、ミュータントが絶滅の危機に直面していた。治癒能力を失いつつあるローガン(ヒュー・ジャックマン)に、チャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュワート)は最後のミッションを託す。その内容は、ミュータントが生き残るための唯一の希望となる少女、ローラ(ダフネ・キーン)を守り抜くことだった。武装組織の襲撃を避けながら、車で荒野を突き進むローガンたちだったが……。
(シネマトゥデイより抜粋)
2000年より連綿と続いてきたX-MENシリーズ。その顔とも言えるウルヴァリンが本作でおいとまするってんだから涙無しには見られりょか!(噛んだ)
「男の最後、男のけじめ」を描いた映画は私の中で『グラン・トリノ』と『トイ・ストーリー3』が双璧だったのですが、本作はそれらに並ぶ印象深い作品となりました。残酷描写が許容できるなら是非おすすめ!
とりあえずのネタバレ無し感想

血みどろ残虐ファイト

本作はまず存在自体がアメコミヒーロー映画としては異質です。
何が凄いってもう残虐。ちょっとやそっとの流血では済みません。血のりの量はほとんどスプラッター映画の領域です。
年齢制限ありの残虐ヒーロー映画としては昨年の『デッドプール』が先行していますが、あちらはアッパッパーな内容で腕が飛ぼうが頭が飛ぼうがほぼギャグです。

半面、本作『LOGAN/ローガン』の残虐描写は一味違います。 顎から入ったウルヴァリンの爪が脳天から飛び出します。銃を持った男は腕ごと切り落とされ、地面に落ちた銃が暴発します。生首の切断面が画面に映ります。顔が半分吹き飛びます。
強烈なゴアシーンのつるべうちで『デッドプール』のようなファニーさは微塵もありません。純然たる暴力描写です。

必然の残虐描写

これまで戦いにあけくれ自分の能力やそれがもたらす結果などに無頓着だったウルヴァリンですが、人生の斜陽に今までのツケが回ってきます。過去=暴力の権化とも言える自分と向き合うことを強要される訳です。
ヒーロー映画にあるまじき残虐描写ラッシュは本作のテーマに直結しています。

3人の主役

老いたローガン

↑別に原作って訳ではないのですが、ヴィジュアルは本作色濃く影響受けているようです。

本作は老いて足ひきずっているウルヴァリンが、ボケて何もわからなくなっているプロフェッサーXを介護するシーンから始まります。

完全に老々介護です。アメコミ介護難民。

眼鏡が無いとスマホの画面もよく見えない。もはやローガンではなく老眼です(←みんな我慢しているのに敢えて言ってしまう文章)。

リムジンの運転手として毎夜態度悪い客を乗せて日銭を稼ぐ姿はかつて世界を救ったヒーローにはとても見えません。こんな惨めなヒーローを演じて許されるのは17年をウルヴァリンに捧げてきたヒュー・ジャックマンだけでしょう。本作の唯一無二っぷりには17年かけて醸成されているのです。

衝撃的な姿のチャールズ

マカヴォイのはつらつさとは一線を画し、パトリック・スチュアートは完全に「終わってる」プロフェッサーXを熱演しています。

もうろくして能力の制御も不完全な上に、かつての聡明さは失われただの難儀なジジイに。きれいに剃り上げていたトレードマークのスキンヘッドも、サイドにもやしヘアーがチョロ生えしたせいで不潔感満点。
ウルヴァリンは老いて渋みが増したと言えなくもないですが、プロフェッサーXは完全に終わっています。別人のような衰えぶりです。要介護能力者。この時点で泣ける。

X-23ことローラ

アメコミ大好きだけどそこまで熱心なファンでもないという半端者の私にとって、ローラとの出会いはゲーム『マーベルvsカプコン3』でした。

そこでの彼女は黒のショートタンクトップがセクシーなお姉さん。名前もローラではなく、通称の「X-23」として扱われていました。圧倒的な手数で相手を翻弄するスピードタイプのキャラで、上手な人が使うとまあカッコいい!私が使うとオンラインで毎回ボコボコ。
本作『LOGAN/ローガン』でのX-23は設定年齢下がって残念。黒タンクトップは?
ちなみにほぼ全編通して「ローラ」と呼ばれており、「X-23」と呼ぶのは悪の科学者だけ。えー、いいじゃん「エックストゥウェンティースリー」かっこいいじゃん!(`ε´)
演じているのはダフネ・キーンなる新人子役。この子が凄い存在感!本作の熱演をもってのちに伝説の子役と呼ばれるのは間違いありません。
何が凄いって暴力衝動野性味の表現が尋常じゃない!全身からあふれる怒りと残虐性で、小さな体にあるまじきブルータルな戦いっぷりに説得力を与えます。

屈強な大人たちを次々血祭りに上げる少女像は『キック・アス』のヒットガールを彷彿とさせますが、ミュータントとして人外レベルの挙動が許されるローラの方がより凄みがあります。この私にヒットガール超えと言わせるなんて只者じゃありません!(無意味な上から目線)

エモーショナルなシーンではちょっと・・・いやむしろかなりクサい演技になってしまうのですが・・・まあそこは御愛嬌。
とにかく彼女の吠えっぷりを拝むだけでも本作を観る意義があります。

時代に逆行する

マーベルもDCコミックスもクロスオーバー企画に次ぐクロスオーバー企画で世界観の拡張に余念がありません。X-MEN単品ですら増えすぎた続編数をまとめるためにパラレルワールドを持ち出してきました。

これらに対し、本作は逆に世界観がもの凄く狭いです。一応過去作とのリンク(ネタバレ感想以降に記載)は無くはないけど、ほぼどこからも繋がっておらずどこにも繋がりません。独立独歩ヒーロー映画。アメコミ映画全盛期のこんにちにおいてかなり特殊です。
シリーズの集大成でありながらシリーズの中での位置づけ設定から解放され、一本の映画としてテーマをとことん掘り下げている。やっぱり本作は17年かけて醸成された唯一無二の立ち位置にあるのです。

警告 ※ ネタバレ ※ 警告
以下の記事にて作品の結末に触れています!未見の方は注意!

老いって何だ!振り向かないことさ!

上でも書きましたが、本作はヒーロー映画の続編でありながらどこからも繋がっておらずどこにも繋がりません。まったく振り返りません

徹底的に過去に触れない

今までのシリーズへの言及もほとんどナシ。
スコットやジーンやストームらもどこかで命を落とした筈ですが何も語られず名前すら出てこない。一応、ウェストチェスター=「恵まれし学園」の所在地でボケて暴走したプロフェッサーXが何らかの大惨事を引き起こしたことが示唆されますが、直接の言及は敢えて避けられています。

いろいろ考察はされますが結局は「X-MENは過去の遺物」という点は不動であり、 チャールズの言う通り「言葉にできないほど酷いことをした」というだけで十分なのでしょう
劇中に回想シーンが全く出てこないのもこだわりを感じます。研究所で行われた悪事を紹介するシーンも「録画された映像をローガンが見る」という形であくまで現在の時間軸として扱われています。
「何をしてきたか」ではなく「どう向き合うか」「何を残すか」というテーマであるところの本作。終わりに向かう「現在だけ」を描くことをとことん追求しています。

小ネタいろいろ

ただしちょいちょい小ネタは挟まれます。
ボケたチャールズが「自由の女神が云々・・・」と言うのを聞き1作目『X-MEN』のクライマックスの話かと思って適当にあしらうローガンでしたが、のちにローラと邂逅する場所がモーテル「自由の女神」。まさに小ネタ。
ウルヴァリンの部屋に日本刀が飾ってあるのは『ウルヴァリン:SAMURAI』のネタでしょう。本作が『フューチャー&パスト』から繋がった世界線ならば『SAMURAI』は無かったことになっている筈なので本当はおかしいですが、ジェームズ・マンゴールド監督も自分の過去作には愛着ひとしおだったってことでそこは暖かく見守って。

ここが凄いよ『LOGAN/ローガン』

メタ的演出の数々

往年の名作西部劇『シェーン』が重要なアイテムとして登場します。
超有名な作品を劇中劇として登場させることで我々が実際に生きる現実の世界と同じ世界の出来事であるとアピールし、映画のリアリティが一段階引き上げられています。
と同時に「人を殺したらもう二度と元には戻れない」「谷から銃は消えた」など、本作の顛末を予想させるセリフを印象的に引用することでテーマを一層明確にし話を分かりやすくさせています。(解釈は分かれるけれど)ラストシーンでシェーンが馬上でこと切れるというのも、本作におけるローガンの最期の運命が示唆されています。ありがたい心遣い・・・やっぱり芸術は分かりやすくないとね!

↑ポスターも露骨に西部劇を意識しています

もう一つメタ的なアイテムが登場します。『X-MEN』のコミックです。おそらく過去作でX-MENがコミック化されているという設定は無かったはず。すなわち、ここでも「X-MENは過去の異物」=今やコミックのネタでしかない、という世界観の説明がなされているのです。
無駄のない演出の数々・・・本当にあのションボリ大作『ウルヴァリン:SAMURAI』と同じ監督なのか!?

凄みのローラ

屈強な兵士が自分を捕まえにすぐ傍まで迫っているのに、平然とごはんを食べ続けるローラ。しかし次のシーンでは、その屈強な兵士の生首を他の兵士の足元に投げて寄越しています。すさまじい早業。生首はしっかり画面に映り込み、ローラが一瞬でもたらした暴力行為が敢えて強調されます。

彼女の超人的な強さと、人を殺すことがごはんを食べるのと同列の行為というぶっ飛んだ倫理観を同時に説明する最高の名シーンです。

哀愁のチャールズ

老いたとは言え圧倒的なテレキネシス能力を持つチャールズがどうやったらまんまと殺されてしまうのか?=ウルヴァリンと同じ姿をした敵「X-24」に油断して接近を許した、という演出がトンチが効いていて芸が細かいです。
死の間際に「た、太陽号(Sun seeker)・・・」とつぶやくシーンが泣かせます。
ローガンに監禁同然の扱いを受け不満紛々だった彼ですが、海の真ん中で静かに余生を過ごすことに密かに希望を感じていたことが伺えます。いわば太陽号は最後の安らぎの象徴だったのでしょう。
希望はかなわず無残な死を遂げる彼ですが、ローガンに看取られてまんざらでもない様子でした。
レストインピース、プロフェッサーX。

最後のウルヴァリン

「う、う~ん」と言いながら目を覚ます、というシーンが都合6回くらい出てくるウルヴァリン。いくら老いたとはいえ寝過ぎじゃなかろか。

巻き添え一家血しぶき大虐殺

旅の途中でローガン一行を助けてくれた黒人一家が、巻き添えを食って全滅するのも痛ましさが半端じゃなく印象深いです。

「俺が愛するものはみんな酷い目にあう!」とローガンが言うのもむべなるかな、彼は長い人生の中ずっと身近な者との死に別れを味わってきた。今更ローラを助けるという贖罪に奔走したところでその運命から逃れられる訳は無いのでした。まさにシェーン同様、一度踏み外した人間は二度とは戻れないというテーマがこの惨劇によりリフレインされているのです。

しかし何の罪もない一般人が惨殺されるのは本当に見ていてキツイ・・・。少年だけでも生き残るかなと思ったのですが。
レストインピース、ロデオボーイ。

ジョエルとエリーに相似

後半、ローラを仲間のところまで無事送り届けるという当初の目的を果たし去ろうとするローガン。彼に「私のことはその程度にしか思っていなかったんかい!」とローラが不満をあらわにしますが、このシーンはPS3のゲーム『ラスト・オブ・アス』の影響が強く感じられます。と言うかそのまんまです。

旅の途中で人間関係に変化が生じていくのはロードムービーの醍醐味ですが、本作ではローガンとローラが短い旅の中『ラスト・オブ・アス』のジョエルとエリー同様、親子同然になっていったことが伺えます。

小さくても確かな希望

本作を一緒に観に行った我が親友、吹田生まれのJ君は、ローラたち実験体の少年少女が火を囲んで楽しそうに談笑しているシーンが泣けたと言っていました。分かる!
観客側は映画が始まってからずっとボロボロのローガンに付き合わされるのですが、このシーンで若く希望にあふれる存在が急に画面に出てくるんだよね。落差の妙というか、まだ守るべき尊いものがあるんだ!という気持ちにさせてくれます。

死が自分の姿でやってくる

ローガンの前に立ちふさがる最後の敵「X-24」が若い姿のウルヴァリンという工夫にはやられました。

最盛期の肉体を持つ自分が最強の敵として現れる、というシークエンスは『ターミネーター』シリーズでも既に試行されている演出ですが、ウルヴァリンにおいては感慨ひとしお。過去と向き合うという本作のテーマが形となって猛威を振るいます。死が自分の姿でやってくるってなかなかの恐怖ですよね。
お互いなかなか死ねないので泥沼の血みどろファイトにもつれ込むのも、観る者を「ああ当然そうなるだろうな・・・」と素直に納得させてしまいます。
X-24との激戦を制すも致命傷を負ったローガンは、ローラたちを救えたことに満足し幸せを感じながら逝きました。
ずっと血みどろの人生を送り、一度は得た家族=X-MENも失い抜け殻となっていた彼ですが、最後の最後で希望を掴めたのです。
ローラは彼の墓標に木の枝で組んだエックス一文字を添えていくのでした。

これが泣かずにいられりょか(噛んだ)。

レストインピース、ウルヴァリン

-映画

© 2021 おふとんでシネマ