おすすめ度
■■■■■■□□□□ 6点
【あらすじ】
エリオット・‘’ホワイトサンダー‘’・スコットというカナダ人青年の2年間を追ったドキュメンタリー。
空手歴20年を誇り有名な大会での優勝歴もある彼は、実は無類の映画好きでもあった。「カナダ人にはアクションスターがいない。だから俺が最初にそうなってやる!」そんな見果てぬ夢を求め、奥さんのリンダと一緒に自主製作映画『ブラッド・ファイト』の製作に励む。
果たして映画は完成するのか?そしてエリオットはアクションスターになれるのか!?映画に人生をかけた漢の魂の記録!
・・・のはずが事態は予想外の方向に。
『映画秘宝』が激押しし、サンダンス映画祭でも何がしかの賞を受賞した本作。日本ではNetflixでしか鑑賞する手段がありません。と言うことはNetflixの知られざる面白さを伝えたい!というコンセプトの当ブログで話題にするのにうってつけの映画!
・・・なのですが、なかなかどうしてストレートには人に勧めがたい強烈なドキュメンタリーです。
エド・ウッドなる映画監督がいます。
1950年代のハリウッドで活躍した人物で「史上最低の映画監督」として有名です。
つくる映画つくる映画すべて成功に見放され最後には失意のうちに酒に溺れ亡くなってしまいます。
しかし完膚なきまでに才能が無いにも関わらず映画に情熱を注ぎ続けたその姿勢は後の映画ファンの間で一周回って伝説となり、今では彼の代表作『プラン9フロムアウタースペース』はカルト映画として独自の存在感を放っています。
幸福でもなければ成功してもいないけれどどこか人を憧れさせる彼の人生は、巨匠ティム・バートンによって映画化されました。劇中でエド・ウッドを演じたのはジョニー・デップ。最低の映画人を最高のトップスターが演じるこの皮肉(当時はジョニデも今ほど破格のスターではありませんでしたが)。
恐らく。恐らくですが本作『カンフー・エリオット』も製作当初は現代のエド・ウッドを記録したい!というコンセプトだったのではないでしょうか。
才能も人脈も無い、あるのはこの溢れんばかりの情熱だけ!!という悲しくもまばゆいエリオットの姿をドキュメンタリー映画にし、現代社会に生きる人々に成功した人生とはいったい何ぞやと問い掛ける、みたいな主題があったのではないでしょうか。
しかし『カンフー・エリオット』は大脱線し、製作者も予想外だったであろう方向へ暴走します。
※ ネタバレ警告※
以下の記事にて作品の結末に触れています!未見の方は注意!
超ド級の嘘つき大魔神
映画が始まって5分で分かることですがこのエリオット君、嘘つきです。
ちょっとやそっとの嘘つきではありません。超ドレッドノート級の大虚言家です。
口を開けば自分の輝かしい空手グラフィを常に自慢する彼ですが、いざ空手の構えを取るとこれがまったくのへっぴり腰。
キックをしてみても脚が45°くらいしか上がりません。アクションシーンを撮るぞ!と息巻いて飛んだり跳ねたり車にしがみついたりしますが、どれもどっこいしょ感溢れる体さばきです。
エリオットが本物の少林寺の修行僧に自慢のカラテを見せつけるシーンでは、修行僧の「・・・え、マジ?ギャグでやってるの?・・・え、やっぱりマジなの?どっち?」的なリアクションに困っている顔が印象的です。
本当はカラテの心得など無いことは火を見る
より明らかです。
より明らかです。
肝心の映画製作現場も非常にチープ。爆発シーンを市販の花火で補うところは怪作『メタルマン』を彷彿とさせます。
いい大人がやっているとは到底思えない小学生レベルの映画ごっこで、まがりなりにも映画を撮ってやる!という情熱はみじんも感じられません。
映画はこんな調子で、彼の嘘80000を淡々と綴っていきます。
だんだんカラテが上達したり、徐々に映画が完成に近づいたりなどの要素は一切無し。ひたすら「俺は凄い奴なんだぜ。これからもっと凄くなるんだぜ」と尊大に語る彼の姿が記録されていきます。滑稽を通り越してちょっと怖い。
彼の妻リンダの存在が画面の悲哀をさらに引き出します。
彼女は・・・まあ率直に言って容姿は優れていません。若くもなく、何かしらのスキルがある訳でもありません。しんどそうに生きている感じです。何とか仕事をしてか細い給与を得てもエリオットの映画製作に浪費されていきます。さすがに彼女も文句を言いますが、エリオットには大して効いていないようだ。
こんなところにしか来る場所が無かったリンダの人生が映画をさらに重くしていきます。
終盤ではエリオットはなぜかカラテをあっさり投げ打ち、性転換者同士の乱交パーティーというコアもコア、この世の最果てみたいなジャンルに傾倒していきます。
これにはさすがにリンダも激昂。大喧嘩になってしまいます。
しかしエリオット、口論のさなかにまさかの逆ギレ。そして修羅場に発展。暴れ出して家具を投げたり隣人に怒鳴り散らしたり、挙句『カンフー・エリオット』の撮影スタッフにも襲い掛かかったりした上そのまま失踪してしまうのでした。ちゃんちゃん。
映画の最後で「カナダカラテ協会にはエリオットの名前や実績の記録は無い」というテロップが出ますが、そんなこと言われなくても分かるよ!
誰が彼を笑えるか
エリオットは嘘つきだけど、彼自身は嘘をついている自覚は無いようです。取り繕う様子もなければ、何の後ろめたさも伺えません。
彼は嘘で塗り固めた虚構に引きこもり、現実を締め出しひたすら「ブレイク寸前のアクションスター、俺!」を演じていたのです。だから異様に生き生きしている。しかしそんな人生が成立する訳もなく、最終的に訪れた破綻さえも受け入れることが出来ず彼は蒸発してしまうのです。
彼の人生をある嘘つきの破滅として笑い飛ばすのが本作に対する正しいリアクションでしょう。彼は常軌を逸した自己愛の持ち主であり、実は統合失調症や双極性障害など何らかの精神疾患を抱えていた可能性も否めません。
ただ、ふと感じてしまうのは誰が彼を笑えようかという不安です。
誰でも「自分はこういう人間である」という自意識を持っています。でもそれは本当に真実の姿なのか。こんな自分でありたいという希望がどこかで現実と乖離し、結果的に自分に嘘をついてはいないか。
エリオットの姿を見ているとそんな考えてもしょうがないような疑問が突きつけられ薄ら寒くなってくるのでした。
書いてて段々テンション下がってきたので終了ー。
『カンフー・エリオット』はNetflixで見放題配信中です。