いきなりですが質問させて下さい。
将来なりたい職業は何ですか?
あるいは子どもの頃になりたかった職業は何ですか?
警察官―
ケーキ屋さん―
宇宙飛行士―
人の数だけいろんな答えがあるでしょう。
望み通りの職業につけた人も、そうでない人もいるでしょう。
現在、小学生の将来なりたい職業と言えばブッチギリでYouTuberです。
自分はやりたいことやってハッピー!
世間はそれを見て楽しめるからハッピー!
あげく自分は人気者で億万長者!!
YouTuberは子どもたちにとってメリットしか無い職業に見えるのでしょう。
イヤイヤ出勤するお父さんを毎日見ている子どもにしてみれば「あんな大人になりたくねぇ!!」という考えに至るのは当然で、YouTuber志向はその焦燥感の表出とも受け取れます。
もちろん私は
「ユーチューバーを目指すだなんてケシカラン!」
「世も末だ!」
などと言う気は毛頭ありません。
仮に息子がなりたいと言い出しても絶対止めないでしょう。
小学生諸君よ、どんどん目指しなさいなYouTuber!
ただし。
YouTuberをはじめとしたSNS上のインフルエンサーらが本当に "メリットしか無い職業" なのかどうかは、大人であれ子供であれしっかり把握する必要はあると思います。
今回紹介する『アメリカン・ミーム』は、そんなSNS時代の課題へガツンと響くドキュメンタリー。
なおカメラのフラッシュがピカピカ眩しいシーンがやたらと多いので、苦手な人はご注意です。
アメリカン・ミーム
2018年
監督:バート・マーカス
出演:パリス・ヒルトンら多数のインフルエンサー本人
評価 C
何の才能もないけどSNSでバズって一躍有名人!
…という事例が全く珍しくなくなった今日この頃。
YouTubeやツイッター、インスタグラム。
本作は広い意味での"SNS"で活躍する、いわゆるインフルエンサーらへのインタビューで綴られています。
ただし作中で取り上げられるそのパフォーマンスはお世辞にも上品とは言えません。
裸の女にシャンパンぶっかける→バズった
ウケ狙いのモノマネを連発する→バズった
屋上から札束ばらまく →バズった
などなど、どれも一時的な話題性をあてこんだ刹那的なネタばかり。
中には露骨な炎上マーケティングも含まれており、たとえば妊婦の写真に「孕みたくなきゃケツでしろ!」とコメントつけたりする豪の者も。
少なくとも芸術性とは程遠い…。
しかしこれらのパフォーマンスに共通しているのは、大衆の心をがっちりキャッチしているという点。
SNS上の人々に広く受け入れられた彼らの活動はやがて絶大な経済効果を生み、本人らに巨万の富をもたらしていきます。
ゴッホやゴーギャンが必ずしも存命中は評価されなかったように、一見うすっぺらいパフォーマンスに見えるこれらのランチキ騒ぎも、もしかしたら後年になって高尚な芸術として評価されるのかも知れない…。
いや、すでに現在の時点でアートなのかも知れない…。
そんな気さえしてきます。
オゲレツ上等!
人が嫌がることやって注目浴びれば億万長者だぜ!
しかし映画の後半は様相を異にし、SNSの闇が暴かれていきます。
活動の場であったSNSサービスが終了し、人気絶頂から一気に「ただの人」に戻ってしまう者。
パクリが発覚して社会的な糾弾に遭う者。
容赦のない誹謗中傷を浴びて心が折れてしまう者…。
ネットでの悪口を苦にして自殺してしまった木村花さんの事件が記憶に新しいこそ、SNSの恐ろしさが真に迫ります。
中でもキリル・ビチュスキーのエピソードはインパクト絶大。
キリルは前述の、裸の女にシャンパンかけて喜ぶ系パフォーマーです。
全国の酒場&バーからパーティーの盛り上げ役として引っ張りだこの彼は、今日はシカゴで女の尻を舐めまわし、明日はボストンで女の頭を便器に突っ込むというパリピの権化のような生活を送っています。
しかし帰宅して一人になるとキリルはわが身を振り返る。
「30代にもなって何やってんだろ俺…」
と。
同年代の友達はみんな家族を持ったり意義のある仕事をしたりしてるのに、自分は今日もシャンパン浴びてバカ騒ぎするだけ。
誰の役にも立っていない…。
あげく性差別主義者として毎日けちょんけちょんに批判されるし、連日のアルコール漬け生活で身も心もボロボロ。
だけど、今日も二日酔いを押してパーティーに行かなきゃいけない…。
だって家賃払わなきゃいけないから。
キリルのパリピ芸(あるいは炎上商法)はすでに飽きられつつあり、フォロワー数も減少の一途。
いずれにせよこの生活は長くは続かないとほのめかされます。
SNSでは超人気者でも、本人の人生は空虚そのもの。
いったい彼は何を間違えたのか…。
与えるときは無尽蔵に与え、奪うときは根こそぎ奪う。SNSの魔物っぷりが実に恐ろしいです…。
しかしキリルの悲惨な人生の一方で、そんなSNSの清濁を併せ呑みさらなる高みを目指す超越的な存在もいます。
パリス・ヒルトンです。
生まれながらの上流階級。
髪の一本一本がセレブ。
呼吸の一回までもがファビュラス。
常に世界中の注目を集める彼女は、もはやパリス・ヒルトンというSNS上の偶像を本体とした情報生命体と言っても過言じゃない規格外っぷり。
その点さえもパリスは誰より正確に理解しており、現に次なる試みとしてバーチャル世界に自分の分身を作ってファンと交流するというプロジェクトを発足させています。
仮にパリス本人が死んでも、彼女の人気をかたどったアバターが永遠に君臨し続けるという仕掛け。
もはや近未来系RPGのラスボスみたいな有様ですが、それを思いつくだけじゃなくて実行に移してしまう所がパリスのパリスたる所以でしょう。
発想・行動力が常人とケタが違うのです。
ゴージャス&ファビュラス!
ツイッターが受肉するとパリスが爆誕する。みんな知ってるよね!
雑誌でおっぱい出したのが親バレしてむちゃくちゃ怒られたとか、セックステープが流出してさすがにヘコんだとかのパリス等身大のエピソードも出てきますが、ことSNSの利用の面で彼女の仕事は別格・別次元。
パリスのビジネスモデルの模倣で大成功を収めたジョシュ・オストロフスキーなども登場しますが、そういう猿マネしか能のない俗物とは格が違うことがひしひしと伝わってきます。
ジョシュはSNSを完全に金儲けの手段として割り切っており、自分の人気が長続きしないことさえ織り込み済のビジネスモデルを展開中。その計算高さはそれはそれで非凡ですが、ファンへのリスペクトがすべての原動力であるパリスとはやっぱり品性に歴然の差がある。
パリス&ジョシュの大物インフルエンサー2ショット。
彼女らのノリと思いつきで億単位のカネが動きます。クレイジーだぜ!
本作は結局、SNSがイイものなのか悪いものなのかについては議論しません。
SNSに何らかの形で大きく人生を動かされてきた人々の一部にフォーカスするのみです。
SNSで莫大な利益を得る者、SNSで炎上して社会的信用を失う者。
SNSで人生を狂わされたキリル、SNSで新たなステージを開拓し続けるパリス。
それらが浮彫にするのは、
・凡人が身の丈に合わない成功を得ても、いずれしっぺ返しを食らう。
・天才が本気を出すと、新しい世界が始まる。
という二面的な真理です。
なんと、一周まわって従来の社会にも当てはまる普遍的な主張に戻ってきてしまいました。
SNSは社会のあり方を大きく変えたけど、どこまで行っても単なるツールでしかない。結局は使う人間次第…ということなのでしょう。
パリス・ヒルトンなんか正直おたんちんなアメリカ人の代表程度にしか思ってませんでしたが、その秘めたる偉大さがとにかく身に沁みた一作でした『アメリカン・ミーム』。
『蝋人形の館』をうんこ映画呼ばわりしてごめんね!