映画

『淵に立つ』感想 あぁ^~心が大出血するんじゃぁ^~

■■■■■■■■■■10点

【あらすじ】
郊外で小さな金属加工場を営む男、利雄。その妻の章恵と幼い娘の蛍。3人はどこにでもいる平凡な家族だった。
しかしそこへが利雄の古い友人を名乗る八坂が現れ、なし崩し的に一緒に住むようになる。
そして、すべての前提が崩れていく。

心が大出血する後味超悪い映画です。ダークサイドに堕ちます
観たこと後悔させてくれてありがとう!と心の底から感謝申し上げたくなる、圧倒的インパクトの映画体験でした。
文句無しの満点です。
そもそも監督である深田晃司の視点が凄い。
「孤独な肉体を抱えた個々の人間が、たまたま出会い、夫婦となり親となり子となって、当たり前のような顔をして共同生活を営んでいる。私にとって、家族とは不条理です。」
家族とは不条理です!けだし名言ですね!
当たり前のように過ぎる日々の生活の中で静かに紡がれる家族の絆…なんていう従来の家族像をアグレッシブに相対化している訳です。おかげでこれまでの常識が通用しない日常描写に吐き気をもよおすほどの居心地の悪さを感じることができました。
やったぜ。

だいたい本作はまったく好みのタイプの映画じゃないので全然観るつもりなかったのですが、宇多丸のムービーウォッチメンで(たしか)紹介されてたアンドNetflixで配信され始めたので、まあどうせ月額制だからタダみたいなもんだし観てみるかという軽い気持ちで手を出しちゃったんですよね。
大やけどです。

少女が奏でるたどたどしいオルガンは家族という構造の脆さ…というより始めからそんなもの無いという見解のメタファーであり、それがBGMに使われるエンドロールはトラウマ級の怖さ。
家族の崩壊を描いた映画は世に数あれど、罪と罰という必然性によって家族の絆が呪縛に変貌する様子をここまで挑戦的に描いた作品は少なくとも私は見たことありません。
後味悪い映画ファンは垂涎の超傑作でした。

広告




 

※ ネタバレ警告※ 
以下の記事にて作品の結末に触れています!未見の方は注意!

浅野忠信のトラウマ演技

本作は登場人物数がおよそ5人だけというコンパクトな世界観です。
ただその5人がどいつもこいつもめちゃくちゃ上手い。演技力と演技力の肉弾戦です。
特に浅野忠信が演じる八坂は、正体不明の超怖いヤツで破格のインパクトです。

前科者ながら礼儀正しさと温厚さで鈴岡家に溶け込んでいく八坂。
章恵も突然の来訪者に最初は戸惑いますが、徐々にその穏やかな人格に惹かれていきます。前科者(しかも殺人一犯)というディスアドバンテージもカトリック教徒の章恵にとっては「この罪深き魂を私が救ってあげなきゃ!」的な感じでむしろ好感度アップ要素。気付けば禁断の愛に発展してしまうのでした。いけないわ私は夫のいる身…(*´Д`)
しかし章恵の前では好人物の八坂も、利雄の前では「俺がムショ行っている間にセックスして子供作りやがって」的な暴言を吐き獣じみた一面を見せます。このギャップが怖い
本作が凄いのは、自らの罪深さに苦しみ贖罪を求める面狂暴な本性を隠して利雄の生活を奪おうとする面という八坂の二面性を浅野忠信が一人で表現し切っている点です。『ザ・ゲスト』みたいな「好人物と思って家に泊めたらサイコパスでした」映画だったら別段傑作にはなりえ得なかったでしょう。
とにかく浅野忠信の怪演技により八坂の正体不明度が200%アップ(当社比)。
礼儀正しく子供好きな好人物は見せかけで、章恵を寝取って利雄の立場を奪おうと画策しているのか。それともただ贖罪を求めて彷徨う哀れな罪人なのか。観る者の理解を拒む迷宮のようなキャラクターです。
結局八坂は章恵を強引に犯そうとするも失敗。その矛先は章恵の娘の蛍に向かい、蛍に重傷を負わせて八坂は姿を消すのでした。
このシーンも八坂が蛍ちゃんを殴るシーンなどは画面に登場せず、結局何が起こったのか敢えて分からないようになっている点が徹底的に底意地悪いと思います!

マイティ・ソー/ダーク・ワールド(吹替版)
↑なんとなく「明るい浅野忠信」を貼って心のハッピーバランスを取ってみる

後編冒頭のトラウマ演出

八坂に頭を殴られ(?) 頭部から大量に出血しかなり重傷そうだった蛍ちゃん。
その後、場面はいきなり8年後に。少し老けた利雄と章恵が何やかや言うだけで、蛍ちゃんがどうなったのか中々語られません
おいどうなったんだよ!生きてるの!?死んじゃったの!?
やきもきさせた所に「蛍ちゃんも一緒に写真撮ろうよ!」のセリフ。良かった、生きてた
と思いきや画面に登場した19歳の蛍ちゃんは、知的障害+上肢徐皮質硬直+車いす状態。脳に重大な後遺症が残ったことが一目で分かる痛ましい姿です。
もうね、アイエエエですよ(意味不明)。
やきもきさせて→安心させて→落とす
という超底意地悪い演出によりニッコリ顔でトラウマを植え付けてきます

古館寛治のトラウマ演技

映画の前半はほとんど喋らないと言っても過言ではないほど朴訥な男、利雄。
ところが映画の後半には一転して口数が増え、会話の途中で笑顔も出てくるような気さくな人物に。
きっと蛍ちゃんという希望の灯が消えて打ち沈む妻を励ますため、無理にでも明るく振舞っているんだろうな…。ぶっきらぼうと思ってたけど意外と健気な所あるじゃん、とか思ってたら全然そんなことはありませんでした
実は八坂の殺人罪の共犯だった利雄。八坂が利雄をかばって自分だけ投獄されたことでその罪の意識にずっと苦しんでいた利雄は、愛娘の蛍ちゃんをあんな姿にされたことで罰を受けた気になってある意味スッキリしていたのでした。
真性のゴミとしか言いようのない人格です。
章恵のセリフ通り、娘を何だと思ってんじゃい!という話です。
すると利雄は「お前(章恵)だって八坂とデキてただろ」「あの時俺らは本当の夫婦になったんだよ」と、本来不条理な共同体である家族が罪と罰という必然性によって実体を持つという本作のテーマがバーンと牙をむく訳です。
えぐられます。

筒井真理子のトラウマ演技

夫の利雄には敬語で話しかけ、娘の蛍ちゃんには発表会の為に着るドレスを自作してあげるという、絵に描いたような良妻賢母の章恵。
それが後半になるにつれブッ壊れていきます。この演技が超絶怖い!
「近寄るなァ!!(低音)」にはギョッとしました。
蛍の後遺症のショックで強迫神経症を患う章恵。ことあるごとに手を石鹸で洗うという典型的な症状が出てしまいます。手を洗ったくらいで罪が洗い流せる訳ないことは分かっているのに、それでも止められない章恵…。もはや無間地獄に堕ちているも同然です。
結局、工房で雇っていた好青年の篤くんが実は八坂の息子だったという事実をきっかけに章恵の心の古傷が全開。現実を受け止めきれなくなった章恵は蛍ちゃんと一緒に川に身を投げてしまうのでした。
あげく二人を助け出そうとした篤くんまで溺死する始末。

トラウマ必至のラストシーン

極寒の川に投げ出され絶命した篤、蛍、章恵(章恵だけは辛うじて息があるけど、まあ長くは持たない感じ)を前に慟哭する利雄。
ここで3人のうち誰を蘇生しようとするか利雄は一瞬迷う訳です。
もし篤だったら「まだ罪悪感に縋って生きたい」という意味だったでしょう。
もし章恵だったら「章恵が死んで罪人が自分だけになるのが嫌」という意味だったでしょう。
しかし利雄が選んだのは蛍でした。生物学的には最も理に叶った行動ですが、映画の意味合い的には唯一何の罪もない存在である蛍だけは断じて救いたかった、という意味に取れます。
もっとも、利雄の見様見真似の心臓マッサージでは蘇生は絶望的です。ほぼ全員死ぬエンド確定で画面は暗転し、利雄の荒い息遣いだけがこだまするのでした。
生涯最悪のラストシーンです。
『ミスト』越えました

広告




-映画

© 2021 おふとんでシネマ